西暦1321年 - ダンテ『神曲』完成

永遠の淑女ベアトリーチェ
ダンテ『神曲』
1321年、イタリアの詩人・政治家ダンテは死の直前、代表作『神曲 (しんきょく) 』を完成させる。
地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部からなる長編叙事詩で、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていたことから広く読まれ、世界文学史に残る名作となった。
13世紀、ローマ教皇庁と神聖ローマ帝国が対立し、北イタリアでも教皇派とローマ帝国派に分かれて反目し合っていた。フィレンツェに産まれたダンテは、教皇派として市政に参画するようになる。
1289年、ダンテも参戦したカンパルディーノの合戦では、両勢力が血みどろの戦いを繰り広げた。この様子は、『神曲』地獄編に記されている。

1301年、ローマ帝国派が実権を握ると、ダンテは罰金刑を受け、市外追放されてしまう。ダンテは北イタリアの諸都市を流浪し、やがて教皇派とも袂を分かち、執筆活動に入る。

ダンテが『神曲』の執筆をはじめたのは1307年頃である。
9歳の時に出会い、ダンテが思いを寄せた同い年の少女ベアトリーチェ・ポルティナーリは、その後結婚し、24歳の若さで病死していた。ダンテは、彼女を永遠の淑女として作品に登場させた。
『神曲』は地獄篇、煉獄篇と書き進められ、天国篇に着手したのは1316年頃とされる。
ダンテは、1318年頃にラヴェンナの領主のもとに身を寄せ、ようやく安住の地を得た。1321年、『神曲』は完成する。
だが、外交使節として派遣されたヴェネツィアへの旅の途上でマラリアにかかり、9月に死去した。客死したダンテの墓は今もラヴェンナにあり、彼はついにフィレンツェに帰還することはできなかった。
ロダン『地獄の門』
ロダン『地獄の門』
神曲』地獄編に登場する地獄への入口にある門をテーマに、19世紀のフランス人彫刻家オーギュスト・ロダンが巨大なブロンズ像として制作したのが「地獄の門」である。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という有名な銘文が刻まされている。
この門の上にある人物像が「考える人」で、ダンテ本人とする説もある。

参考書籍

表紙 神曲【完全版】
著者 ダンテ/平川 祐弘
出版社 河出書房新社
サイズ 単行本
発売日 2010年08月
価格 6,490円(税込)
ISBN 9784309205496
人生の道の半ばで正道を踏みはずした私が目をさました時は暗い森の中にいたー地獄篇・煉獄篇・天国篇全3篇とともに、ドレによる美麗な挿画全135点を収録。カラー口絵、詩篇付。新生訳で贈る世界文学の最高傑作。
 
表紙 ダンテ神曲 (上)
著者 永井豪
出版社 講談社
サイズ 文庫
発売日 1998年05月
価格 792円(税込)
ISBN 9784062604147
 
表紙 ダンテ神曲 (下)
著者 永井豪
出版社 講談社
サイズ 文庫
発売日 1998年05月
価格 792円(税込)
ISBN 9784062604154
 

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