壇ノ浦古戦場址と長州砲

2016年3月21日 撮影
壇ノ浦古戦場址
壇ノ浦古戦場址(山口県下関市みもすそ川町1番)は、1185年(寿永4年)、源氏と平氏の最後の戦いが行われた地である。みもすそ川公園内にある。

関門海峡で最も狭い場所で、対岸までの距離は約600メートル。潮の干満により1日4回潮流の向きが変わる難所で、壇ノ浦の戦いで潮流を読んだ源義経に軍配が上がったとする説もある。
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源義経 - 壇ノ浦古戦場址
源氏の水軍大将は源義経 (みなもとのよしつね) だ。八艘飛び (はっそうとび) の構図は格好いい。

1180年(治承4年)8月、伊豆に流されていた源頼朝 (みなもとのよりとも) が挙兵した。この知らせを聞いた義経は、10月、頼朝軍に合流した。
1184年(寿永3年)2月、義経は一ノ谷の戦いで平氏軍を敗走させる。ところが頼朝は、義経が報告なく官位を受けた振る舞いを糾弾し、義経を源氏軍から外した。
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源義経 - 壇ノ浦古戦場址
一方、敗走した平氏軍は、瀬戸内海の交通の要衝である四国の屋島と彦島に布陣し、地元の水軍と力を合わせて守りを固めた。水軍をほとんど持たない源氏軍は苦戦を強いられていた。
1185年(元暦2年)、ようやく義経に出陣の命令が下った。義経はわずか5艘の手勢を率いて瀬戸内海へ向かい、平氏側の水軍を寝返らせるなどして味方を増やした。
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平知盛 - 壇ノ浦古戦場址
平氏の水軍大将は平知盛 (たいらのむねもり) だ。

安徳天皇らが入水し平氏滅亡の様を見届けた知盛は、碇を担いで入水したと伝えられている。
このテーマは、能の「碇潜 (いかりかづき) 」として今日に伝わっている。
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関門橋 - 壇ノ浦古戦場址
関門橋は、関門海峡をまたぐ道路橋で、1973年(昭和48年)に開通した。橋長1068メートル、最大支間長712メートルは、当時、東洋最長の橋だった。
2011年度からの5年計画による大規模補修を行っている。
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関門海峡 - 壇ノ浦古戦場址
関門海峡は、工業地帯の集中する瀬戸内海と、中国や韓国などとの往来の重要航路となっている。航路が複雑なことなどから、日本国内に7箇所設置されている海上交通センター「関門マーチス」が置かれ、船舶は水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられている。
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長州砲 - 壇ノ浦古戦場址
時代は下り、幕末の攘夷運動の中心となっていた長州藩は、下関海峡に砲台を整備し、海上封鎖の態勢をとった。写真は、この時に設置された青銅砲のレプリカである。
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長州砲 - 壇ノ浦古戦場址
1863年(文久3年)5月23日、横浜から長崎へ向かうフランスの通報艦キャンシャン号に砲撃を加えた。水兵4人が死亡したが、キャンシャン号は損傷しつつも長崎に到着した。
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長州砲 - 壇ノ浦古戦場址
この後も外国艦船に対する砲撃は続き、6月に入ると、アメリカ艦とフランス艦による報復攻撃が行われ、長州藩は敗北する。
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長州砲 - 壇ノ浦古戦場址
この後も長州藩は攘夷の姿勢を崩さず、下関海峡は通航不能となっていた。
そこで、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの4カ国連合艦隊は17隻、5千人の兵力を投入し、1864年(元治元年)8月、長州砲台への攻撃を開始する。火力差は圧倒的で、8日までに砲台はことごとく破壊された。残った長州砲は戦利品として海外に運び去られた。

1984年(昭和59年)6月、山口県出身の外務大臣・安倍晋太郎氏の努力とフランス政府の好意により、貸与という形で青銅砲が里帰りした。下関東ロータリークラブは、フランス政府の了解を得て、このレプリカを作り、公園に展示している。
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長州砲 - 壇ノ浦古戦場址
有料コインシステムに100円を入れると、20秒後に長州砲の模型から発射音と煙が出る。5秒間隔で3回、発射する。
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聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地
2018年9月10日 撮影
下関市唐戸町6番には、「聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地」の碑がある。
1549年(天文18年)、種子島に上陸したザビエルは、京都へ宣教に向かうべく、翌年、下関に上陸した。
この記念碑は、ザビエル来日450年を記念して建立された。記念碑には、サビエルの故郷であるスペインのザビエル城の石が配置されている。
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交通アクセス

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目的地:壇ノ浦古戦場址
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(この項おわり)
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