以後よく (1549) 広まるキリスト教

フランシスコ・ザビエル
1547年(天文16年)12月、ザビエルはマラッカで、鹿児島出身の日本人に出会う。彼らを洗礼したザビエルは、1549年(天文18年)4月、ゴアを出航し、日本を目指した。一行は、中国を経て、8月に薩摩半島の坊津に上陸した。
9月、守護大名の島津貴久に謁見し、宣教を許される。

ザビエル一行は、この後、肥前国、周防国で宣教を続け、1551年(天文20年)1月に京都に入る。
インド総督とゴア司教の親書を携えたザビエルは、後奈良天皇や足利義輝将軍への拝謁を申し出るも、かなわなかった。3月に平戸に戻り、11月にはゴアを目指して出発する。
9月、守護大名の島津貴久に謁見し、宣教を許される。

ザビエル一行は、この後、肥前国、周防国で宣教を続け、1551年(天文20年)1月に京都に入る。
インド総督とゴア司教の親書を携えたザビエルは、後奈良天皇や足利義輝将軍への拝謁を申し出るも、かなわなかった。3月に平戸に戻り、11月にはゴアを目指して出発する。
この時代の世界
(この項おわり)
世界宣教を目標に掲げていたイエズス会は、ポルトガル王ジョアン3世の依頼を受け、1541年(天文10年)4月、ザビエルらをポルトガル領だったインド西海岸のゴアに派遣した。1年後、ゴアに到着した一行は、インド各地で宣教を始めた。