足尾銅山の光と影

2021年10月16日 撮影
足尾銅山
足尾銅山
足尾銅山(栃木県日光市足尾町通洞9-2)は、1610年(慶長15年)、江戸幕府直営の銅山として発掘が始まった。江戸時代のピーク時、年間1,200トンの銅を産出していた。1871年(明治4年)に民営化されたが、銅の産出量は年間150トンにまで落ち込んでいた。
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足尾銅山観光
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1877年(明治10年)、古河市兵衛は足尾銅山の経営に着手し、1881年(明治14年)、有望な鉱脈を発見。1905年(明治38年)、古河工業の経営となり、明治政府の富国強兵政策を背景に急速に発展する。
だが、森林伐や大気汚染、水質・土壌汚染を引き起こした足尾鉱毒事件が発生。1891年(明治24年)、栃木県選出の田中正造が、第2回帝国議会で鉱毒問題に関する質問を行ったことで社会問題になる。だが、1894年(明治27年)に日清戦争が勃発し、足尾銅山の重要性はさらに高まった。田中は天皇陛下に直訴するも、効果はなかった。
1916年(大正5年)には、年間産銅量が14,000トンを超え、足尾町の人口も増えて38,428人に達した。
足尾銅山観光
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1980年(昭和55年)、足尾市(現・日光市)によって足尾銅山観光が開業した。また、製錬施設を利用しての産業廃棄物のリサイクル事業を行っている。
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足尾銅山観光
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足尾銅山跡として国の史跡に指定されている。
トロッコ列車に乗って、全長約460メートルの薄暗い坑道に入っていくことができる。
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通洞坑 - 足尾銅山
通洞坑
基幹坑道だった通洞坑――人や物資を運ぶために線路が敷かれ、初期は馬車鉄道で、昭和に入るとガソリンカーが走るようになった。

太平洋戦争に入ると、足尾銅山は軍需会社の指定を受ける。
1956年(昭和31年)、自溶製錬設備が完成すると、亜硫酸ガスの排出は減少したものの、鉱毒被害は続いた。
1961年(昭和36年)、銅の貿易自由化が決まると、海外から安い銅が輸入され、次第に経営が困難になっていく。1972年(昭和47年)2月に操業終了。坑道は総延長1,234kmに達していた。
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足尾銅山観光
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坑道内には、当時の辛く厳しい鉱石採掘の様子が年代ごとにリアルな人形で再現されている。
足尾銅山観光
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2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災により、1958年(昭和33年)に決壊した源五郎沢堆積場が再び決壊し、渡良瀬川下流の農業用水取水地点で基準値を超える鉛が検出された。
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交通アクセス

【鉄道】
  • わたらせ渓谷鐵道「通洞駅」から徒歩5分
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目的地:足尾銅山
足尾銅山 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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