成田空港 空と大地の歴史館は三里塚闘争の歴史を展示

2021年12月4日 撮影
成田空港 空と大地の歴史館
成田空港 空と大地の歴史館
成田空港 空と大地の歴史館(千葉県山武郡芝山町岩山113−2)は、成田空港に隣接する航空科学博物館の敷地内にある。三里塚闘争を中心とする成田空港問題を後世に伝える博物館として、2011年(平成23年)6月に開館した。
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三里塚入植 - 成田空港 空と大地の歴史館
三里塚入植
1946年(昭和21年)、三里塚の御料牧場の敷地の一部が農地として解放され、入植がはじまった。引揚者や沖縄戦から逃れてきた人々が入植したが、生活はきわめて貧しく、土地に対する執着が大きかった。
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三里塚闘争 - 成田空港 空と大地の歴史館
三里塚闘争館
1966年(昭和41年)6月、佐藤内閣は空港建設予定地を富里八街から三里塚に変更することを閣議決定し、事前説明の全くないままの発表であることから、地元住民は猛反発。三里塚芝山連合空港反対同盟を結成し、三里塚闘争が始まる。

反対派は、用地を細分化して空港用地買収交渉を困難にする目的で、革新政党主導の下で土地一坪を地権者や支援者が相互に売買して登記する「一坪運動」や、立木ニ関スル法律に基づいて立木一本一本を売買して表札を掲げる「立木トラスト」を展開した。
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ゲバヘル - 成田空港 空と大地の歴史館
ゲバヘル
1968年(昭和43年)2月、反対同盟代表の戸村一作が機動隊に殴打されて負傷したことを切っ掛けに、反対同盟は武装闘争路線の新左翼である中核派・共産同・社青同解放派が主導する三派全学連の全面的な支援を受けることになった。
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ゲバヘル - 成田空港 空と大地の歴史館
ゲバヘル
反対同盟は、座り込み・空港公団職員から強奪した調査用具の損壊・投石・バリケード構築・空港関係者への嫌がらせなど、さまざまな手段で公団や機動隊に抵抗した。
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火炎瓶 - 成田空港 空と大地の歴史館
火炎瓶
1970年代前半にかけ闘争が激化するなか、1978年(昭和53年)5月20日成田空港が開港する。開港前後、過激派によりゲリラ事件で火炎瓶が約1,700本投げられ、約3,160本が押収された。
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成田空港 空と大地の歴史館
成田空港 空と大地の歴史館
歴史観の内部は八角形になっており、放射状に広がる展示室を順に巡ることで、国・公団と地域住民が、対立から円卓という話し合いの場に歩み寄るまでの道筋を見ることができる。両者は話し合いの結果、中央で出会い、双方の死者を悼み、光への道を共生の考えのもとに歩み寄り、陽光が注ぐ朝日のラウンジに至る――。
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東峰神社
東峰神社
東峰神社 (とうほうじんじゃ) (千葉県成田市東峰)は、民間航空のパイオニアであった伊藤音次郎が、航空黎明期の殉職者を祀るため、1937年(昭和12年)に建立した航空神社。三里塚闘争の象徴とされた。
2001年(平成13年)9月、航空科学博物館の野外展示場へ遷座した。
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(この項おわり)
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