佐原の町並み(千葉県香取市佐原)は、小野川沿いに、佐原が最も栄えていた江戸時代末期から昭和初期に建てられた木造町家建築、蔵造りの店舗建築、洋風建築などが並ぶ。この日は、山車が1台、お囃子を奏でながら巡幸していた。
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1898年(明治31年)2月に開業し、現在の駅舎は2011年(平成23年)2月に供用開始した2代目である。2015年(平成27年)に完成した駅前広場を含めて、佐原の町並みをイメージして和風でまとめられている。
江戸時代のはじめ、小野川をまたいで農業用水を通すため、大きな樋が作られた。その樋の上に板を渡して樋橋となり、その両側からあふれた水が川に落ちる「じゃーじゃー」という音から、ジャージャー橋と呼ばれるようになった。観光用に30分間隔で水を流している。
ジャージャー橋のたもとから、株式会社ぶれきめらが運行する遊覧船が発着する。この日は30分間隔で4隻が運航しており、4隻の定員は32名。40分ほど待つことに。
船が動き出すと、涼しい風が顔に当たり、じつに気持ちがいい。
船が動き出すと、涼しい風が顔に当たり、じつに気持ちがいい。
927年(延長5年)の「延喜式」神名帳に、この両社のみに「神宮」という名称を与え、優越した地位を与えた。
香取神宮は下総国一宮となり、国分氏が治めていた佐原はその門前町として賑わいをみせていた。
香取神宮は下総国一宮となり、国分氏が治めていた佐原はその門前町として賑わいをみせていた。
江戸時代に入ると、根川水運の河港として年貢米の集散地になり、物資が集散する商業町へと発展した。国分氏の家臣だった伊能家や永沢家は、帰農して酒や醤油などの醸造業を興し、佐原の代表産業に育て上げた。
小野川沿いと川に交差する香取街道に交差する忠敬橋周辺に、江戸末期から明治の古い商家がある。川沿いには町家の風景が、町の中央を走る街道沿いには土蔵造りの商家が並んでいる。
そのほとんどが昔からの家業を引き継いで今も営業を続けている商家で、1996年(平成8年)に関東で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
母屋は1793年(寛政5年)に忠敬自身が設計したものといわれている。
当時の佐原村は天領で、武士は1人も住んでおらず、村民の自治によって収められていた。なかでも経済力が大きく発言権があったのが永沢家と伊能家で、忠敬は両家の対立を収めたり、次第に村の経営に深く関わってゆくようになる。
当時、蝦夷地では帝政ロシアの圧力が高まっており、至時は蝦夷地の正確な地図を作ることを幕府に進言し、あわせて子午線一度の距離を求めようと目論んだ。この測量事業の責任者として忠敬が抜擢された。1800年(寛政12年)4月19日、忠敬は第一次測量の旅に出た。
測量隊が御用(国の仕事)であることを示すため、作業のときには御用旗を旗を立てた。
測量隊が御用(国の仕事)であることを示すため、作業のときには御用旗を旗を立てた。
測食定分儀は、天体望遠鏡の接眼部に取り付け、日食や月食のかけ具合を観測するための道具。目を痛めないように、太陽観測用の遮光板(ゾンガラス)も使われていた。
垂揺球儀は振り子時計の一種である。日食や月食の時刻を正確に記録するために、垂揺球儀が使われた。
1803年(享和3年)10月、測量を終えて江戸に戻った忠敬は、さっそく緯度1度の距離を計算した。その結果は113km、地球1周は約4万キロということになり、現在の値にほぼ近い精密なものであった。こうして忠敬は、1816年(文化13年)の第10次まで(第9次測量のみ不参加)日本全土を測量した。
忠敬は1818年(文化15年)4月13日に死去するが、その死は伏せられ、高橋至時の子である高橋景保が中心になり日本全国図の作成作業が続けられる。
1803年(享和3年)10月、測量を終えて江戸に戻った忠敬は、さっそく緯度1度の距離を計算した。その結果は113km、地球1周は約4万キロということになり、現在の値にほぼ近い精密なものであった。こうして忠敬は、1816年(文化13年)の第10次まで(第9次測量のみ不参加)日本全土を測量した。
忠敬は1818年(文化15年)4月13日に死去するが、その死は伏せられ、高橋至時の子である高橋景保が中心になり日本全国図の作成作業が続けられる。
左手には阿行がある。
古い町並みにお馴染みの丸型ポスト――写真は佐原駅前のもの。
こちらは小野川沿いの丸型ポスト。
交通アクセス
【鉄道】
- JR成田線「佐原駅」より徒歩15分
参考サイト
- 佐原観光協会
- 佐原町並み交流館
- 株式会社ぶれきめら
- 香取神宮
- 西暦1809年(文化6年) - 間宮海峡の発見:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1821年(文政4年) - 「大日本沿海輿地全図」完成:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1828年(文政11年) - シーボルト事件
近隣の情報
- 佐原には、江戸時代末から昭和初期の商店、町家が並ぶ:ぱふぅ家のホームページ
- 水郷佐原と伊能忠敬:ぱふぅ家のホームページ
- 桝原稲荷神社と神動山古墳群:ぱふぅ家のホームページ
- 香取駅は JR鹿島線の起点駅:ぱふぅ家のホームページ
- 鹿島神宮はタケミカヅチを祀る:ぱふぅ家のホームページ
- 成田空港の出国審査は自動化:ぱふぅ家のホームページ
- 東成田駅は、かつて成田空港駅だった:ぱふぅ家のホームページ
- 芝山千代田駅は日本一短い芝山鉄道の終着駅:ぱふぅ家のホームページ
- 航空科学博物館は成田空港に隣接:ぱふぅ家のホームページ
- 成田空港 空と大地の歴史館は三里塚闘争の歴史を展示:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)