城山は西南戦争終焉の地

2024年3月2日 撮影
城山展望台
城山展望台
城山 (しろやま) (鹿児島県鹿児島市城山町)は、鹿児島市の中央にある標高100メートルの丘陵で、1877年(明治10年)に西南戦争の最終決戦があった場所で、西郷軍が敗れて戦争は終結した。祝日でもないのに展望台には日の丸が高々と掲揚されていた。
城山展望台の大きな写真大きな写真
(1920×1390 ピクセル, 1785 Kbyte)
城山から桜島を望む
城山から桜島を望む
大きな写真大きな写真
(2560×1402 ピクセル, 1310 Kbyte)
鹿児島中央公園
鹿児島中央公園
天気の良い日には桜島の絶景を望むことができ、150年前に激戦地だったことは夢のようだ。
また、眼下には鹿児島中央公園が見える。
鹿児島中央公園の大きな写真大きな写真
(1920×1440 ピクセル, 1334 Kbyte)
城山展望台
城山展望台
城山自然遊歩道には、照国神社横の探勝園と、岩崎谷の薩摩義士碑の2ケ所の入口があり、約2kmのコースは自然を観賞しながらの散策にぴったりだ。
城山展望台の大きな写真大きな写真
(1920×1409 ピクセル, 1787 Kbyte)
城山展望台
城山展望台
樹齢約400年にもなるクスの大木やシダ・サンゴジュなど600種以上の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫でもあり、1931年(昭和6年)に天然記念物・国の史跡に指定された。

城山展望台の大きな写真大きな写真
(1440×1920 ピクセル, 1749 Kbyte)
城山展望台
城山展望台
城山の名前は、中世に地元の豪族が山城を築いていたことに由来する。1601年(慶長6年)に、島津忠恒 (しまづ ただつね) が鹿児島城(鶴丸城)を築き、城山を整備して、屋形に万が一のことがあった場合の後詰めの城として上山城を整備し、島津常久 (しまづ つねひさ) が入城した。1614年(慶長19年)に常久が死去すると廃城となり、城山は原生林に戻っていった。

展望台には、昭和天皇が1937年(昭和12年)に行幸した記念碑や、皇太子時代に植樹されたいちょうの木、大正天皇が皇太子時代に植樹されたクスノキなどがある。
城山展望台の大きな写真大きな写真
(1440×1920 ピクセル, 1923 Kbyte)
城山展望台
城山展望台
近くには城山ホテル鹿児島があり、院上天皇も皇太子時代に宿泊されている。西南戦争で散華した士族の鎮魂のためだろうか、多くの皇族が訪れていることが気になった。
城山展望台の大きな写真大きな写真
(1920×1440 ピクセル, 2248 Kbyte)

交通アクセス

【鉄道】
  • 朝日通電停から徒歩約20分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:城山展望台
 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
header