西郷隆盛誕生地・維新ふるさと館

2024年3月3日 撮影
西郷隆盛誕生地
西郷隆盛誕生地
西郷隆盛は、1823年(文政6年)1月23日に薩摩藩の下級武士が住む加治屋町で産まれる。1843年(天保13年)6月1日は、弟の西郷従道 (さいごう じゅうどう) も同じ場所で産まれる。
加治屋町は、西郷兄弟のほか、大久保利通東郷平八郎大山巌など、明治時代に活躍した重要人物を輩出した。現在は公園として整備されている。
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西郷従道邸庭園跡庭石 - 西郷隆盛誕生地
西郷従道邸庭園跡庭石
東京都目黒区にある西郷従道邸庭園跡地を公園として整備するにあたり、そこにあった伊豆、紀州、伊予の庭石を鹿児島市に寄贈したもの。
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西郷隆盛誕生地
西郷隆盛誕生地
1889年(明治22年)3月に建立された共建碑には、西郷隆盛の死後10年以上の歳月が流れ、その誕生地が無くなってしまうことをおそれ、地元の有志が共同で石碑を建て、この地が西郷隆盛の誕生地であることを伝えることにした。さらに、この地に生まれこの地で育っていく後進の者たちが、同じような気概を持って生きていくことを願うと刻まれている。
裏には、西郷従道のほか、東郷平八郎、大山巌の名がある。
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維新ふるさと館
維新ふるさと館
維新ふるさと館(鹿児島市加治屋町23番1号)は鹿児島市加治屋町23番1号に隣接する歴史博物館で、1994年(平成6年)4月に開館した。2006年(平成18年)3月にリニューアルし、地下1階の維新体感ホールで上演される「維新への道」は、ココロが製作した西郷隆盛や大久保利通、村田新八などのロボットが熱く語らい、これをみるだけでも入場料300円以上の価値がある。
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維新ふるさと館
維新ふるさと館
また、「薩摩スチューデント、西へ」では、1865年(元治2年)4月に、禁を犯してイギリスへの留学の旅に出発した薩摩藩英国留学生の物語を実写ドラマで上映する。明治時代に活躍した寺島宗則、五代友厚、鮫島尚信が留学生メンバだったことを初めて知った。
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篤姫の衣装 - 維新ふるさと館
篤姫の衣装
とくに村橋久成は、戊辰戦争に従軍し、サッポロビールの前身をつくった。屯田兵には多くの薩摩人がいた。
2008年(平成20年)のNHK大河ドラマ『篤姫』が放映されたことで年間入場者数が16万6千人を記録し、1階に篤姫(天璋院)コーナーが新設された。写真は、篤姫役の宮﨑あおいが着た衣装である。
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武家屋敷
武家屋敷
西郷隆盛誕生地の前を流れる甲突川沿い左岸には、郷中教育の基礎となった「いろは歌」の歌碑や、江戸時代後期の武家屋敷を再現した建物がある。
鹿児島を治めていた島津氏の開祖・島津忠久は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将で、出自は不明ながら、源頼朝の子どもという説もある。
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武家屋敷
武家屋敷
1186年(文治2年)に薩摩・大隅・日向三国の地頭職に任ぜられ、以来、幕末まで鹿児島を守ってきた。
島津氏は、豊臣秀吉の九州平定の際も領地を安堵され、関ヶ原の戦いで徳川軍に肉薄するも敗退。けれども領地は安堵。明治維新で大活躍し、多くの貴族を輩出した。
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薩摩藩の郷中教育は、同一地域内(郷中)に住む幼児から青年以上を年齢によってグループ分けし、それぞれに自律性を付与して、能動的に学ばせる仕組み。これと薩摩藩の一撃必殺の剣術、示現流 (じげんりゅう) を合わせると、激動の時代にあって、それを乗り越えていける理想的な人材を輩出した鹿児島の県民性の一端に触れることができた。

交通アクセス

【鉄道】
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目的地:維新ふるさと館s
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近隣の情報

(この項おわり)
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