黒田清輝誕生の地

2024年3月3日 撮影
黒田清輝誕生の地
黒田清輝 (くろだ せいき) (黑田 淸輝;1866~1924)は、日本の洋画家で政治家。通称、新太郎。東京美術学校教授、帝国美術院院長(第2代)、貴族院議員などを歴任した。
現在の鹿児島県鹿児島市東千石町に産まれ、幼少時に上京し、伯父の黒田清綱 (きよつな) の養子となった。
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黒田清輝誕生の地
東京外国語学校を卒業後、法律学を修めるために1884年(明治17年)にフランスに留学するものの、パリで多くの人びとと交流を深めるうちに洋画家の道を志すことを決意した。代表作は、重要文化財で教科書にも載っている『湖畔』。
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帰国後、東京美術学校(現・東京芸術大学)に新設された西洋画科の初代教授に就任。所属派や作風にとらわれず出展ができる機会を作ることを政府に働きかけ、1907年(明治40年)に第1回文部省美術展覧会(文展)の開催を実現するなど、「日本洋画家の父」と呼ばれる活躍をみせた。

この像は、2010年(平成22年)10月に鹿児島市が設置したもので、1914年(大正3年)に父の見舞いのため帰省していた際に桜島の大正噴火を目の当たりにし、その様子をスケッチするために鹿児島港に歩を進める姿を表している。市立美術館に所蔵の「桜島噴火連作6点」はその迫力を感じさせる力作として知られる。

交通アクセス

【鉄道】
  • 鹿児島市電「高見馬場」電停から徒歩約3分
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出発地の最寄駅:

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(この項おわり)
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