西暦1324年 - マンサ・ムーサのメッカ巡礼

金をばらまき相場が暴落
金塊を手にするマンサ・ムーサ
1324年(元亨4年)、マリ帝国の9代目の王マンサ・ムーサが、メッカ巡礼に向かった。おびただしい数の従者と、黄金や贈り物を積み上げたラクダの隊列に囲まれた一行の噂は、遠くヨーロッパまで伝わった。
途中立ち寄ったエジプトのカイロでは、莫大な黄金をばらまき、金相場が暴落、10年以上にわたってインフレが続いたという。
マリ帝国は先代の王からの征服事業により支配地域を拡大していった。ムーサ自身も西方のテクルールを征服し、東方はハウサ諸国との境界まで領土を拡大した。このような周辺地域の平定により上記の大規模なメッカ巡礼が可能になった。

敬虔なイスラム教徒であったムーサは、メッカから帰ると、数多くのモスクやマドラサ、マスジドを建設した。
ユネスコ世界遺産にも含まれる有名なトンブクトゥのジンガレー・ベルは、ムーサがアル=アンダルス生まれの文人アブー・イスハーク・アッ=サヒリーをエジプトから招聘して建設させたと伝えられている。トンブクトゥは、交易、文化、イスラーム語学の中心となった。ヴェネツィア、グラナダ、ジェノバの商人たちは黄金を手に入れられる交易場所としてトンブクトゥを自分たちの地図の中に書き入れた。

マンサ・ムーサの総資産は、現在の価値にして約4000億ドル(約35兆円)と、人類史上最高額であったといわれている。

この時代の世界

1225 1250 1275 1300 1325 1350 1375 1400 1324 マンサ・ムーサのメッカ巡礼 1304 1368 イブン・バトゥータ 1370 ティムール帝国の成立 1299 オスマン帝国建国 1304 1335 アブー・サイード 1368 明の建国 1254 1324 マルコ・ポーロ 1321 ダンテ『神曲』完成 1265 1321 ダンテ 1313 1375 ボッカチオ 1304 1374 ペトラルカ 1298 「東方見聞録」出版 1254 1324 マルコ・ポーロ 1309 1377 教皇のアヴィニョン捕囚 1303 アナーニ事件 1348 黒死病がヨーロッパで猛威をふるう 1293 1350 フィリップ6世 1312 1377 エドワード3世 1356 カール4世の金印勅書 1316 1378 カール4世 1288 1339 後醍醐天皇 1294 1336 楠木正成 1303 1333 北条高時 1301 1338 新田義貞 1308 1335 護良親王 1297 1348 花園天皇 1305 1358 足利尊氏 1306 1352 足利直義 1333 鎌倉幕府滅亡 1313 1364 光厳天皇 1338 足利尊氏、征夷大将軍に任官 1325 アステカの首都テノチティトラン建設 Tooltip

参考サイト

  • [https://ddnavi.com/serial/819247/a/:title地球で一番のお金持ちはやることが違う! 大盤振る舞いが招いた思わぬ結果とは…]:ダ・ヴィンチWeb
(この項おわり)
header