
ティムール

ティムール帝国の最大版図
トルコ=モンゴル系遊牧民族の軍事力と、イラン系定住民族の経済力に支えられ、帝国は版図を拡大した。
ティムールは、すでに死去していた長男ジャハーンギールの息子ピール・ムハンマド・ジャハーンギールを後継者に指名していたが、力が弱く、1409年、ティムールの四男シャー・ルフが3代目の君主となった。
ティムールは、すでに死去していた長男ジャハーンギールの息子ピール・ムハンマド・ジャハーンギールを後継者に指名していたが、力が弱く、1409年、ティムールの四男シャー・ルフが3代目の君主となった。

細密画「ユースフの誘惑」(1488年)
この時代の世界
(この項おわり)
ティムールは、旧イル・ハン国の領土を併合し、さらに西へ進み、1402年、アンカラの戦いでオスマン帝国を退け、1405年、明への遠征途上で死没する。
チンギス・ハンの子孫を自称するティムールは、一族の間に領土を分封し、ときの実力者が王位を継承するという遊牧民族の伝統を受け継ぎつつ、イスラム教の学者ウラマーを官僚として登用した。