
バヤズィトのもとへ訪れるティムール(1878年)

ティムール

アブー・サイード
1449年、ティムールの孫にあたる4代目君主ウルグ・ベクが暗殺されると、帝国は混乱期に入る。1469年、6代目君主アブー・サイードが死去すると、帝国はサマルカンド政権とヘラート政権に分裂した。
ウズベク族のシャイバーン朝は、1500年にサマルカンド政権を、1507年にヘラート政権を相次いで征服し、ティムール帝国は終焉を迎える。
ウズベク族のシャイバーン朝は、1500年にサマルカンド政権を、1507年にヘラート政権を相次いで征服し、ティムール帝国は終焉を迎える。
アンカラ付近の地図
この時代の世界
(この項おわり)
退却しようとしたバヤズィト1世は落馬して捕虜となり、翌年病死した。
その結果、オスマン帝国は一時的に弱体化し、コンスタンティノープルを包囲され滅亡寸前にあった東ローマ帝国が救われる。
ティムールは元の再現を目論見、明へ向けて軍を進めるが、1405年に死去。帝国の領土拡大に終止符が打たれる。