西暦1397年 - 金閣建立

足利義満の絶頂期
金閣
1397年(応永4年)、室町幕府3代将軍・足利義満 (あしかがよしみつ) は、河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、北山山荘 (ほくざんさんそう) 北山殿 (ほくざんどの) )とした。
現在に残る世界遺産の「金閣」(舎利殿)を中心に、御所に匹敵する規模だった。義満は、1394年に征夷大将軍を子の義持に譲って太政大臣となっていたが、政治の実権は手放さず、北山殿にあって政務を行っていたという。
足利義満は、1392年、南朝の後亀山天皇が持っていた三種の神器を北朝の後小松天皇に譲ることで南北朝の合一を果たした。
また、1404年から明との間に勘合貿易をはじめ、巨万の富を築いた。

義満の死後、義持によって北山殿は舎利殿を残して解体されるが、義満の遺言により禅寺とされ、義満の法号「鹿苑院」から鹿苑寺 (ろくおんじ) と名付けられた。
義満自身は天皇になろうとしたが果たせず、死後、太政大臣の称号を贈るという動きがあった。しかし、義持がこれを固辞した。

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参考書籍

表紙 天皇になろうとした将軍
著者 井沢元彦
出版社 小学館
サイズ 文庫
発売日 1998年04月01日
価格 514円(税込)
rakuten
ISBN 9784094023015
なぜ戦乱記を「大平」記と記したのだろうか?金閣寺に塗り込められた足利義満の「野心」、金閣「寺」の命名に秘められた義満「暗殺」の真相、義満暗殺の「実行犯」と「大文字焼き」の秘密…。下克上の世に渦巻く権謀術数の闇を、日本史の“なぜ?”に挑み続ける著者が歴史推理の大ナタをふるい白日のもとにさらす。
 

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【鉄道+バス】
  • 京都駅よりバス、「金閣」下車

この付近でネットができる宿

(この項おわり)
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