1487年(文明19年)8月、ディアスは50トン級の3隻の船を率いてリスボンを出港する。アフリカ西岸に沿って南下するが、1488年(長享2年)、嵐にあって2週間近く漂流をする。
嵐が収まると、アフリカ最南端に到達していたことが分かり、その場所を「嵐の岬」と名付けた。後にポルトガル王ジョアン2世によって「喜望峰」と改名されることになる。
インド洋に侵入したポルトガルの戦略目標は、香辛料貿易の主導権をムスリムの手から奪取することにあった。
嵐が収まると、アフリカ最南端に到達していたことが分かり、その場所を「嵐の岬」と名付けた。後にポルトガル王ジョアン2世によって「喜望峰」と改名されることになる。
インド洋に侵入したポルトガルの戦略目標は、香辛料貿易の主導権をムスリムの手から奪取することにあった。
この時代の世界
(この項おわり)
また、エチオピア方面にあると言われる伝説のキリスト教徒の王(プレスター・ジョン)の国を探し、ポルトガルとの友好関係を樹立するという目的もあった。