
カトリック両王
1469年(応仁3年)、カスティーリャ王女イサベルはアラゴン王太子フェルナンドと結婚し、1474年(文明6年)にイサベル1世としてカスティーリャ王位に就いた。さらに1479年(文明11年)、フェルナンドが即位しアラゴン王フェルナンド2世となることで、両国は2人の王が共同統治するスペイン王国となった。ローマ教皇アレクサンデル6世は、カトリック両王の称号を授けた。
カスティーリャ王国は、イスラム勢力の支配が続いていたイベリア半島の北西部に生まれたレオン王国から別れ、10世紀半ばに成立した。
レコンキスタ運動の中心勢力として次第にイベリア半島中部に進出し、1035年(長元8年)にフェルナンド1世のもとで王国となり、1037年(長元10年)にはレオン王国との同君連合国家となって「カスティーリャ=レオン王国」と称した。
1143年(康治2年)、西南部のポルトガルが分離するなど、分離・統合が繰り返される。13世紀には最も強大となって、1212年(建暦2年)、ナバス・デ・トロサの戦いでイスラームの残存勢力を撃破した。1230年(寛喜2年)、レオン王国を併合。1236年(嘉禎2年)にコルドバを奪った。
だが、1343年(興国4年)に黒死病が上陸すると、人口の2割近くが失われた。さらに、王位継承権をめぐる争いが起き、百年戦争中にはフランスとイングランドの介入を招く。

アラゴン王国は、イベリア半島北部のナヴァラ王国から別れ、11世紀に東北部に成立した。
1282年(弘安5年)の「シチリアの晩祷」の事件に際してはシチリアを手に入れ、さらに地中海のサルデーニャやマジョルカなどを領有するようになった。カタルーニャ出身のアルフォンソ5世はナポリ王位も兼ね、地中海に一大勢力を持つに至った。

こうした中、スペイン王国は誕生した。
当初、カスティーリャとアラゴンの各々の法制度は維持された。だが、カタルーニャにとって政治的独自性を奪われた年であるとされる。大航海時代の到来により、商業活動の中心は地中海から大西洋に移り、カタルーニャが有していた地中海貿易の特権はオスマン帝国に奪われ、人口は激減してゆく。
こうしてカタルーニャは衰退していくのだが、過去の栄光にしがみつこうと、1640年(寛永17年)に反乱を起こす(収穫人戦争)。このときカタルーニャはフランス王国への編入を決議してフランス軍を迎え入れたが、結局、フランスに見限られて敗退してしまう。
時代は下って2017年(平成29年)10月、カタルーニャ州は独立の是非を問う住民投票を行い、賛成が9割に達した。

日本でカステラと呼んでいるものは、カスティーリャで作られている菓子を、オランダ人が長崎の出島に伝えたものである。
レコンキスタ運動の中心勢力として次第にイベリア半島中部に進出し、1035年(長元8年)にフェルナンド1世のもとで王国となり、1037年(長元10年)にはレオン王国との同君連合国家となって「カスティーリャ=レオン王国」と称した。
1143年(康治2年)、西南部のポルトガルが分離するなど、分離・統合が繰り返される。13世紀には最も強大となって、1212年(建暦2年)、ナバス・デ・トロサの戦いでイスラームの残存勢力を撃破した。1230年(寛喜2年)、レオン王国を併合。1236年(嘉禎2年)にコルドバを奪った。
だが、1343年(興国4年)に黒死病が上陸すると、人口の2割近くが失われた。さらに、王位継承権をめぐる争いが起き、百年戦争中にはフランスとイングランドの介入を招く。

アラゴン王国は、イベリア半島北部のナヴァラ王国から別れ、11世紀に東北部に成立した。
1282年(弘安5年)の「シチリアの晩祷」の事件に際してはシチリアを手に入れ、さらに地中海のサルデーニャやマジョルカなどを領有するようになった。カタルーニャ出身のアルフォンソ5世はナポリ王位も兼ね、地中海に一大勢力を持つに至った。

こうした中、スペイン王国は誕生した。
当初、カスティーリャとアラゴンの各々の法制度は維持された。だが、カタルーニャにとって政治的独自性を奪われた年であるとされる。大航海時代の到来により、商業活動の中心は地中海から大西洋に移り、カタルーニャが有していた地中海貿易の特権はオスマン帝国に奪われ、人口は激減してゆく。
こうしてカタルーニャは衰退していくのだが、過去の栄光にしがみつこうと、1640年(寛永17年)に反乱を起こす(収穫人戦争)。このときカタルーニャはフランス王国への編入を決議してフランス軍を迎え入れたが、結局、フランスに見限られて敗退してしまう。
時代は下って2017年(平成29年)10月、カタルーニャ州は独立の是非を問う住民投票を行い、賛成が9割に達した。

日本でカステラと呼んでいるものは、カスティーリャで作られている菓子を、オランダ人が長崎の出島に伝えたものである。
この時代の世界
(この項おわり)