西暦1494年 - トルデシリャス条約

新世界を二分する
トルデシリャス条約(赤)とサラゴサ条約(緑)の境界線
大航海時代を主導するスペインとポルトガルが“新世界”における紛争を解決するため、ローマ教皇アレクサンデル6世の仲介で、大西洋の南北に境界線を引き、東側の新領土をポルトガルに、西側はスペインに属することを定めた。
1494年(明応3年)、この条約が批准されたカスティージャのトルデシリャスの地名から「トルデシリャス条約」と呼ばれる。

ところが、1522年(大永2年)にマゼランが世界周航に成功すると、境界線がもう1本必要となった。そこで、1529年(享禄2年)、アジアにも境界線を引き、「サラゴサ条約」を結んだ。
こうして世界は、スペインとポルトガルによって二分されることになる。

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(この項おわり)
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