『超巨大ブラックホールに迫る』――「波形」は楽しい

平林久=著
表紙 超巨大ブラックホールに迫る
著者 平林久
出版社 新日本出版社
サイズ 単行本
発売日 2017年02月
価格 1,650円(税込)
rakuten
ISBN 9784406061193
これからは重力波天文学が花開くでしょう。(167ページ)

概要

野辺山宇宙電波観測所
野辺山宇宙電波観測所
著者は、東京大学東京天文台(現・国立天文台)で野辺山電波天文台建設計画にかかわり、宇宙科学研究所に移って電波天文衛星「はるか」プロジェクトを成功に導いた平林久さん。電波天文学や計測機器に関する難しい話ではなく、電波天文学の発展に平林さんご自身の半生を重ねた、読みやすい科学書だ。
ついでに言うと、宇宙背景輻射が発見された年に産まれた私は、本書の時系列の中に自分の歴史を重ねて読むことができた。

レビュー

私は中高生時代、毎夏、野辺山の近くで天体観測をしていた。
この頃、FM電波を使った流星の観測を行っており、電波天文学とまではいかないにしても、アマチュア天文家として電波による天体観測には関心があった。
平林さんが東大時代に心血を注いだ野辺山宇宙電波観測所の「45mミリ波望遠鏡」と「10m 5素子ミリ波干渉計」が完成したのは、最後に観測に行った年だった。

私は大学へ進学し、電算機やパソコンを利用できるようになると、人工衛星の軌道計算や電波干渉計の解像度の計算が簡単にできるようになる。「NASAのJPL(ジェット推進研究所)の電波天文学者のジェリー・レヴィさんが、TDRS衛星1号機の優れた通信能力をうまく使いこなせば、スペースVLBIの実験ができることに気づいていました」(60ページ)という時代だ。私は、地球の直径より大きな干渉計が誕生することにワクワクさせられた。

平林さんは、人工衛星を使った電波望遠鏡プロジェクトを、ブランデーにちなんで「VSOP計画」と名付けた。そして、時代は昭和から平成へ――平林さんは、こう振り返る。
その1989年の1月、「新宿を歩いていると、駅近くのビルの電光掲示板に、新しい元号が「平成」と決まったと流れました。「『ひらなり』と読むのかな、なんだかのんびりの名前だな」と思いましたが、「へいせい」と読むのだとわかりました。ラテン系の人はhを発音しないので、「へ」は「え」となります。「ああ、僕らの『衛星』元年だな」と思いました。(69ページ)
このころ、私はシステム技術者として飯を食っていくことになる。忙しいプロジェクトの中でユーモアを忘れない姿勢は大切だ。

世界初のVLBI電波天文衛星Muses-Bこと「はるか」は、1997年2月、打ち上げられる。45mミリ波望遠鏡は縁結びの神様である。
2001年3月、仕事でアラスカへ行き、オーロラ観測をする。電波天文学とは違うが、オーロラを再現するために可視光の波長分析をしたり、興味深い経験をした。この頃になるとパソコンの性能が向上し、波形解析のスピードも飛躍的にアップした。「はるか」の研究現場も同じだったに違いない。

こうして「はるか」プロジェクトは2006年3月に完了し、翌年、平林さんは宇宙科学研究所を定年退官される。
さて、オーロラ観測に行った時、よちよち歩きだった子どもは、友だち同士で野辺山まで旅行に行くようになっていた。構想から20年、「はるか」プロジェクトの皆さん、本当にお疲れさまでした。

「はるか」は遠方銀河の超巨大ブラックホールの観測もしたのだが、平林さんは最後に、「これからは重力波天文学が花開くでしょう」(167ページ)と書いている。電磁波とは違う「波形」の観測・研究を後進に託しているような感じだ。

平林さんは剣道の有段者だ。忙しい仕事の合間を縫って、六段まで進んでいる。
2005年12月、イギリスを訪問した平林さんは、「実際にホーキング博士にお会いして、思い知りました。研究生活をし、気分を転換し、肉体を動かし、稽古ごとなどに励める自分は幸せなのだと。このことを大事に生かさなければいけないと思いました。自分はがんばらなければならない。もっと知的でなければ、など、と」(170ページ)と記している。
私は、来日したホーキング博士にお会いしたが、そのときは、IT技術の可能性に舌を巻いた。
平林さんは引退されたが、私の現役生活はまだ続く。私もまた、電磁波とは異なる「波形」解析の仕事に着手している。IT技術と組み合わせることで、これからも人類の可能性に挑戦していきたい。
そんな2012年夏、家族で野辺山を訪れ、野辺山宇宙電波観測所を見学した。
(2017年6月4日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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