『科学者はなぜ神を信じるのか』――絶対者の前で謙虚に

三田一郎=著
表紙 科学者はなぜ神を信じるのか
著者 三田 一郎
出版社 講談社
サイズ 新書
発売日 2018年06月20日
価格 1,080円(税込)
rakuten
ISBN 9784065120507
もしも宇宙に設計図があったとしても、ならば設計をしたのは誰なのか言い換えれば、運動方程式を創ったのは誰か、宇宙の初期条件を創ったのは誰なのか、という問題は依然として残るのです。(128ページ)

概要

著者は、理論物理学者でカトリック教会の助祭でもある三田一郎さん。コペルニクスに始まる科学革命以降の科学史を追いながら、科学者の神に対する考え方の変遷を見てゆく。
全体を通じて、やや神様贔屓であると感じるが、不思議な現象に出会ったときに、科学者たちが冷静に、論理的に観察し、分析できるのは、「神様=創造主=絶対者」という存在の前で謙虚になるという本能的な何かがあるからではないかと感じた。

レビュー

三田さんは、「聖書には、天動説が正しいとか、地動説が誤っていると明らかに読めるような記述はない」(45ページ)と前置きし、コペルニクスティコ・ブラーエケプラーガリレオの4人の天文学者の功績と信仰を紹介する。コペルニクスがカトリックの司祭であることは有名だが、他の3人も敬虔なキリスト教徒だった。神が創造した宇宙は美しいものであるべきで、だから彼らは、周転円のような複雑怪奇な仕組みを必要としない地動説を支持した。
ケプラーの法則を理論的に裏付けたのが、ニュートンの万有引力だ。ニュートンも敬虔なキリスト教徒だったが、運動方程式によって、神が支配している天体の運行を予言することを可能にした。

19世紀半ば、ダーウィンの進化論は、科学者たちの考えを変えた。造物主としての神の御業に疑問を抱く科学者が現れはじめたのだ。その一人がアインシュタインであった。アインシュタインの相対性理論によって、「この世界で絶対のものは光速だけであり、時間は遅れるし、空間は歪んでいる。もはや、聖書に記されているような絶対的な神が存在できる場所など、どこにもなくなってしまった」(157ページ)。
アインシュタインは17世紀の哲学者スピノザを尊敬しており、「宇宙創造後の発展はすべて科学法則にまかされていて、人間は自由意志をもたない」(145ページ)と考えていた。自らの重力方程式に宇宙項を組み込み、定常宇宙論を展開した。
ところが、相対論をマスターした司祭ルメートルは、膨張宇宙論を唱え、ハッブルの観測によりそれが正しいことが証明されるという皮肉な結果となる。
1951年、教皇ピウス2世は、「ビッグバンはカトリックの公式の教義に矛盾しない」(167ページ)との声明を発表した。

量子力学の時代、ディラックは「神はきわめて高度な数学者であり、彼は宇宙の構築に、この非常に高度な数学を用いたのだ」(221ページ)と書き残している。
そして先年亡くなった車椅子の天才、スティーブン・ホーキングは、特異点定理を発表する。ホーキング自身は「神なき宇宙」の理論構築に向かっていたが、カトリック教会は、特異点を証明して神の存在を確かなものにした功労者として、教皇庁科学アカデミーの創設者ピウス11世の姿が彫られた金メダルが授与した。
だが、三田さんは、「ホーキングもやはり、物理法則は誰かが意志をもってデザインしたものであってほしいと考えていたのだな」(249ページ)と述べる。

最終章で、三田さんは自信が神を信じる背景を語る。宇宙誕生時に物質が反物質よりわずかに多かったから現在の宇宙が存在しているのであり、そこに神の存在を感じるという。
「もし私が聖書を書くことが許されたら、こんなふうに書き直したいところです。初めに神は物理法則を創られた。そしてエネルギーの塊から物質と反物質を創られた。物質のほうがほんの少し多かった。同量の物質と反物質は消滅しあい、エネルギーに戻った。ほんの少し多かった物質が残った。そして神は天地を創られた」(206ページ)

やや神様贔屓であると感じるが、「不思議な現象に出会ったときに最初から『神様がお作りになったのだ』と言う人は、絶対に科学者ではありません」(262ページ)という主張には同感である。
私たちが謙虚でいられるのは、それは「神様=創造主=絶対者」という存在を想定しているからである。
(2019年01月19日 読了)
(この項おわり)
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