
1619年(元和5年)、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)は、ティコ・ブラーエが行った惑星の位置の精密な観測を基礎にして、「ケプラーの法則」と呼ばれる3つの経験則を導き出す。
- 惑星は太陽を焦点とする楕円軌道を描く。
- 太陽から惑星に至る直線は、等時間に等面積を描く。
- 惑星の公転周期の二乗は、太陽からの平均距離の三乗に比例する。
ケプラーは、当初、神秘学によって宇宙の謎を解明しようとした。
1596年(文禄4年)に刊行した最初の著作『宇宙の神秘』では、正多面体が5種類しかないことを挙げ、これが6つの惑星(水星、金星、地球、火星、木星、土星)の間に配置されると考えた。まず、土星の軌道に内接するように正六面体を置き、次にそれに内接する形で木星の軌道を描く‥‥という感じである。
いまから考えれば科学的根拠のない説であるが、ケプラーは自分の説を証明するために、天体観測家として名をはせていたティコ・ブラーエのもとを訪れた。
ケプラーは、すぐに自説の誤りを認め、ティコの観測結果の解析を粘り強く進めた。
1619年(元和5年)に『世界の調和』を刊行し、ついにケプラーの法則を発表したのである。

コペルニクスの地動説は、惑星の公転軌道が円であるとしたため、天動説モデルより惑星の位置予報を正確にできたとは言えなかった。
ケプラーのモデルでは惑星の軌道を楕円としたため、天動説よりもはるかに正確な惑星の位置予報ができるようになった。これにより、地動説は天動説より有利な立場に立つことになる。

なお、ケプラーの法則の物理的証明は、ニュートンの「万有引力の法則」が登場するまで待たなければならなかった。
1596年(文禄4年)に刊行した最初の著作『宇宙の神秘』では、正多面体が5種類しかないことを挙げ、これが6つの惑星(水星、金星、地球、火星、木星、土星)の間に配置されると考えた。まず、土星の軌道に内接するように正六面体を置き、次にそれに内接する形で木星の軌道を描く‥‥という感じである。
いまから考えれば科学的根拠のない説であるが、ケプラーは自分の説を証明するために、天体観測家として名をはせていたティコ・ブラーエのもとを訪れた。
ケプラーは、すぐに自説の誤りを認め、ティコの観測結果の解析を粘り強く進めた。
1619年(元和5年)に『世界の調和』を刊行し、ついにケプラーの法則を発表したのである。

コペルニクスの地動説は、惑星の公転軌道が円であるとしたため、天動説モデルより惑星の位置予報を正確にできたとは言えなかった。
ケプラーのモデルでは惑星の軌道を楕円としたため、天動説よりもはるかに正確な惑星の位置予報ができるようになった。これにより、地動説は天動説より有利な立場に立つことになる。

なお、ケプラーの法則の物理的証明は、ニュートンの「万有引力の法則」が登場するまで待たなければならなかった。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)