
『天文対話』口絵

ガリレオ・ガリレイ
ガリレオ自身は、オランダで発明された望遠鏡の噂を聞き、1609年、天体望遠鏡を自作する。これを使い、1610年に木星の衛星や月のクレーター、太陽の黒点を発見し、天体が完全な球体でないことを知る。

ガリレオの望遠鏡
こうした観測結果をもとに地動説を唱えるが、ドミニコ会修道士ロリーニと論争になる。
1616年、異端審問所審査で、ローマ教皇庁より注意を受ける。この時、コペルニクスの『天球の回転について』の出版が一時停止されるが、こちらは純粋な数学論文という解釈で、禁書は免れた。

注意処分にもかかわらずガリレオは『天文対話』を出版し、今度は異端審問所審査で終身刑を言い渡された(後に軟禁刑に減刑)。『天文対話』は禁書となり、この審問結果に屈したガリレオは「それでも地球は回っている」とつぶやいたと伝えられている。
1616年、異端審問所審査で、ローマ教皇庁より注意を受ける。この時、コペルニクスの『天球の回転について』の出版が一時停止されるが、こちらは純粋な数学論文という解釈で、禁書は免れた。

注意処分にもかかわらずガリレオは『天文対話』を出版し、今度は異端審問所審査で終身刑を言い渡された(後に軟禁刑に減刑)。『天文対話』は禁書となり、この審問結果に屈したガリレオは「それでも地球は回っている」とつぶやいたと伝えられている。

月のスケッチ
その後、ガリレオは両眼を失明するが、振り子時計を発明するなど、1642年に78歳で没するまで研究意欲は衰えなかった。

1737年にガリレオの遺体がフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂に埋葬される際、崇拝者らにより指や歯が切り取られ、持ち去られていた。長い間行方知れずになっていたが、コレクターにより再発見された。

1737年にガリレオの遺体がフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂に埋葬される際、崇拝者らにより指や歯が切り取られ、持ち去られていた。長い間行方知れずになっていたが、コレクターにより再発見された。
1609年、倍率20倍の望遠鏡を月に向けたガリレオは、そこに凹凸があることを発見し、スケッチに残した。月は完璧に球形であるとするアリストテレス学派の説とは相容れない事実を発見した。
これより4ヵ月ほど早く、イギリスの天文学者トーマス・ハリオットが、望遠鏡を使った月のスケッチを残しているが、著作として発表することがなかったため、1786年に再発見されるまで誰も知ることがなかった。ハリオットの月面図が出版されたのは、1965年になってからである。
これより4ヵ月ほど早く、イギリスの天文学者トーマス・ハリオットが、望遠鏡を使った月のスケッチを残しているが、著作として発表することがなかったため、1786年に再発見されるまで誰も知ることがなかった。ハリオットの月面図が出版されたのは、1965年になってからである。
ガリレオによる海王星の記録
1612年12月28日、ガリレオは木星の観測記録中に偶然に海王星を記録していた。
しかし、新しい惑星を発見したとは考えていなかったようだ。

正式に“海王星が発見”されるのは、それから254年後の1846年のことである。
しかし、新しい惑星を発見したとは考えていなかったようだ。

正式に“海王星が発見”されるのは、それから254年後の1846年のことである。
地動説の歴史

太陽系

レギオモンタヌス
『天球の回転について』が発刊されたのはドイツのニュルンベルクであったが、その70年ほど前の1474年、同じニュルンベルクに天文台兼印刷所を構えていたレギオモンタヌスは、高精度の三角関数表を発刊しており、地動説とは関係なく、独自の計算によって向こう30年間の日食・月食、惑星の位置を予報した『天体位置表』を発刊した。

デューラー星図
また、ニュルンベルクで活躍していた画家のデューラーは、1515年、世界初の星図を発刊した。

ことによると、コペルニクスはニュルンベルクから地動説に関する情報を仕入れており、それを考察して『天球の回転について』を書いたのかもしれない。コペルニクス自身が精密な天体観測をしたという記録は残っていない。

ことによると、コペルニクスはニュルンベルクから地動説に関する情報を仕入れており、それを考察して『天球の回転について』を書いたのかもしれない。コペルニクス自身が精密な天体観測をしたという記録は残っていない。

ウラニボリ天文台

異端審問を受けるガリレオ
しかし、1616年、ガリレオか地動説を唱えると、『天球の回転について』は出版停止となる。カトリック教会が地動説を禁じたというより、ガリレオはメディチ家の庇護を受けていたが、反メディチのドミニコ会と衝突したのである。鬼籍にあるコペルニクスは、いい迷惑だったろう。

アイザック・ニュートン

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル
地動説の決定的証拠が見つかるのは、ニュートンが亡くなって100年以上経ってから。1838年、ニュルンベルクの400km北にあるケーニスベルクの天文台でのこと。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルは、アリスタルコスが匙を投げた恒星の年周視差を観測したのである。
参考書籍
![]() |
ガリレオ 星空を「宇宙」に変えた科学者 | ||
著者 | フィリップ・スティール/赤尾秀子 | ||
出版社 | BL出版 | ||
サイズ | 全集・双書 | ||
発売日 | 2009年07月 | ||
価格 | 1,980円(税込) | ||
ISBN | 9784776403517 | ||
![]() |
天文対話(上) | ||
著者 | ガリレオ・ガリレイ/青木 靖三 | ||
出版社 | 岩波書店 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 1959年08月25日頃 | ||
価格 | 880円(税込) | ||
ISBN | 9784003390610 | ||
コペルニクス体系の基礎を解明し、同時に新しい科学方法論を確立した不朽の名著。地動説論証のためにガリレイが直面しなければならなかったさまざまなスコラ学体系の難関・障壁と、それがいかにして突破されたかが如実に示されている。近代科学の黎明を告げる大著であり、科学革命の宣言書である。 | |||
![]() |
天文対話(下) | ||
著者 | ガリレオ・ガリレイ/青木 靖三 | ||
出版社 | 岩波書店 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 1961年04月05日頃 | ||
価格 | 726円(税込) | ||
ISBN | 9784003390627 | ||
本書の公刊は1632年。今日でこそ地動説は不動の真理として認められているが、ガリレイの生きた時代にあってはコペルニクス体系を支持することは容易なことでなく、この本を書いたためガリレイは異端審問にかけられた。しかし、地球の運動の証明に捧げられた本書は、新しい科学の方法論を確立した科学史上の古典として遺された。 | |||
この時代の世界
(この項おわり)
地動説を支持する者、天動説を信ずる者、良識的市民の3人が4日間にわたって議論を交わすという問答形式で構成されており、話の中から地動説の正しさが明らかにされていく。論文ではなく平易なイタリア語で書かれていたので、広く普及した。