
サーマッラー大モスクのミナレット
イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバースの子孫アブー=アルアッバースが750年にクーデターを起こし、ウマイヤ朝の最後のカリフ・マルワーン2世をザーブ河畔の戦いで破り、アッバース朝を創始した。
ウマイヤ朝に続き、アッバース朝でもカリフは世襲制で、アッバース家が代々世襲した。
また、官僚制度や法律を整備し、税制をあらため、アラブと非アラブの平等化を図り、多民族共同体国家としてアラブ帝国をイスラーム帝国に変身させた。

第2代カリフマンスールが、762年、首都バグダッドの建設を開始。
首都バグダッドを中心に交通・通信網を整備し、最盛期にはモロッコから中央アジアまでの西アジアに巨大なイスラム帝国を築いていく。
中央アジアでは唐と領土を接することになり、はやくも751年にタラス河畔の戦いが起こり、唐を撃退した。
アッバース朝は唐と覇権を争いながらも、その文化を積極的に吸収し、唐から紙の西方をヨーロッパへ伝えた。逆に、バグダッドには、ギリシア語文献のアラビア語へ翻訳する大規模な研究所「知恵の館」があり、ここで蓄えられた古代ギリシアの知識が、のちの十字軍遠征を通じてヨーロッパに還元され、ルネサンスへとつながる。

786年、ハールーン・アッラシードが即位すると、アッバース朝は最盛期を迎える。
また、官僚制度や法律を整備し、税制をあらため、アラブと非アラブの平等化を図り、多民族共同体国家としてアラブ帝国をイスラーム帝国に変身させた。

第2代カリフマンスールが、762年、首都バグダッドの建設を開始。
首都バグダッドを中心に交通・通信網を整備し、最盛期にはモロッコから中央アジアまでの西アジアに巨大なイスラム帝国を築いていく。
中央アジアでは唐と領土を接することになり、はやくも751年にタラス河畔の戦いが起こり、唐を撃退した。
アッバース朝は唐と覇権を争いながらも、その文化を積極的に吸収し、唐から紙の西方をヨーロッパへ伝えた。逆に、バグダッドには、ギリシア語文献のアラビア語へ翻訳する大規模な研究所「知恵の館」があり、ここで蓄えられた古代ギリシアの知識が、のちの十字軍遠征を通じてヨーロッパに還元され、ルネサンスへとつながる。

786年、ハールーン・アッラシードが即位すると、アッバース朝は最盛期を迎える。
この時代の世界
(この項おわり)