西暦1562年 - ユグノー戦争

フランスにおける宗教戦争
サンバルテルミの虐殺
1562年、フランスでカトリックとユグノー(カルヴァン派)が対立し、ユグノー戦争が起きる。

1572年、フランス王アンリ4世の結婚を祝って集まったユグノー派が殺されるというサンバルテルミの虐殺が起きる。この事件の首謀者とされる前フランス王アンリ2世の后であったカトリーヌ・ド・メディシスは、バロア王家の維持に努力し、ユグノー派のリーダーとして人気のあるブルボン朝のアンリ4世を嫌っていたと言われている。
カトリーヌ・ド・メディシスは多くの芸術家のパトロンになっており、詩人で予言者であったノストラダムス(ミシェル・ド・ノートルダム)を贔屓にしていた。

1598年、アンリ4世はカトリックに改宗しナントの勅令を発し、カトリックを保護しつつもユグノーの権利を認めることで戦争を終結させた。

1685年、太陽王と呼ばれたルイ14世は、フォンテーヌブローの勅令によりナントの勅令を廃止し、カトリック中心の権威主義的な国家へと逆戻りさせた。これによって、プロテスタント信徒の大半はネーデルラントなどの国外へ逃れ、商工業の担い手を失ったフランスの衰退を招くことになった。プロテスタント信徒は産業の中核を占めていたため数世代にもわたる財政の悪化を招くことにもなり、それを補うための増税政策に反発した貴族・聖職者や市民・一般国民などの不満が爆発したフランス革命の遠因ともなった。

この時代の世界

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(この項おわり)
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