西暦1707年 - 宝永地震と宝永大噴火

日本最大級の地震に続いて富士山が噴火
1707 年 10 月 28 日(宝永 4 年 10 月 4 日)に日本史上最大級の地震が起きた(宝永地震 (ほうえいじしん) )。
烈震以上の地域が東海道から四国西端にまで及び、大津波が房総半島から九州に至る太平洋沿岸を襲ったことが分かっている。死者2 万人、家屋の倒壊約 6 万戸、流失約 2 万戸といわれる。
この地震の規模はマグニチュード 8.6~8.7 と推定され、東海地震・東南海地震・南海地震が同時期に起きたと考えられている。
富士山東麓の裾野市から見た宝永山と宝永第一火口 地震から 2 ヶ月後、富士山が宝永の大噴火 (ほうえいのだいふんか) を起こす。溶岩の流下はなかったが、大量の火山灰が噴出し、100km離れた江戸でも積もった。
噴火は富士山の東南斜面で起こり、3 つの火口が形成された。現在の宝永山である。
これ以降、富士山は噴火していないが、現在も活火山の扱いとなっている。
YEAR
1620
1645
1670
1695
1720
1745
1770
 
1707
 
宝永地震・宝永の大噴火
 
1646
徳川綱吉
1709
 
1702
 
赤穂浪士の討ち入り
 
1654
康煕帝
1722
 
1638
ルイ14世
1715
 
1717
マリア・テレジア
1780
 
1685
バッハ
1750
(この項おわり)
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