大串貝塚には巨人が棲む

2022年4月22日 撮影
ダイダラボウ - 大串貝塚
ダイダラボウ
大串貝塚(茨城県水戸市塩崎町1064-1)は縄文時代前期(約5000年前)の貝塚で、奈良時代初期の713年(和銅6年)に編纂された『常陸国風土記 (ひたちのくにふどき) に記載があり、文献に記録された貝塚としては世界で最も古い。また、これにまつわる巨人伝説の地「大櫛之岡 (おおくしのおか) 」として知られている。

写真のダイダラボウ像は、高さが15.25メートルもあり、体内の階段を上って手のひらからの眺望を楽しむことができる。

むかし、大足町 (おおだらまち) 辺りの村にダイダラボウという大男が住んでいた。村の南側には高い山がそびえ、日陰になって作物が育たず、人々は貧しかった。
ダイダラボウ - 大串貝塚の大きな写真大きな写真
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大串貝塚
大串貝塚
「この山がなければよかったのに」という村人の嘆きを聞いたダイダラボウは、村人を喜ばせようと、山を北側に動かした。日は当たるようになり、作物もよく育つようになった。
ところが今度は、山を移動させたときにできた穴に水がたまり、雨が降ると村が水浸しになるようになってしまった。ダイダラボウは水が流れるように指で小さな川を作り、下流に沼をつくった。

動かした山は水戸市、笠間市、城里町の境にある朝房山(標高201メートル)で、指で作った沼は水戸市の千波湖だという。
大串貝塚の大きな写真大きな写真
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大串貝塚
大串貝塚
1936年(昭和11年)と1943年に発掘調査が行われ、ヤマトシジミを主とした貝殻・魚骨・獣骨・石器・土器などが出土した。
1970年(昭和45年)5月に国の史跡に指定され、現在は大串貝塚ふれあい公園」として整備されている。
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縄文広場 - 大串貝塚
縄文広場
茨城県内にある縄文前期の貝塚は、常陸太田市築崎貝塚・同森東貝塚・小美玉市野中貝塚などが知られているが、[大串貝塚:blue:の規模・遺物量はこれらの遺跡をはるかに凌ぐもので、県内を代表する花積下層式期の貝塚となっている。
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縄文広場 - 大串貝塚
縄文広場
縄文広場には、復元した竪穴式住居が並ぶ。
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縄文広場 - 大串貝塚
縄文広場
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縄文広場 - 大串貝塚
縄文広場
松本清張は、1970年(昭和45年)に、ダイダラボウを題材とする推理小説『巨人の磯』を著した。

2010年(平成22年)4月に、水戸市内の埋蔵文化財の調査や保存活用などを行う拠点として、園内に埋蔵文化財センターが開設された。
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交通アクセス

【鉄道】
  • 鹿島臨海鉄道「常澄駅」から徒歩約30分
【バス】
  • 水戸駅から茨木交通バス「大串公園行」に乗り約25分、「大串公園」下車
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:大串貝塚ふれあい公園

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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