
ウズベキスタンのヒヴァ城入口にあるフワーリズミー像
フワーリズミーは、825年にインド数学の記数法を扱った『インドの数の計算法』を著し、十進法表記で空いている桁にゼロを使用することを提唱し、数学と天文学の分野に大きな足跡を残した。アルゴリズムの語源にもなった。
フワーリズミーは、アッバース朝第7代カリフ、マアムーンに見いだされ、首都バクダードにある知恵の館で活躍した。知恵の館では、古代ギリシアの知識をアラビア語に翻訳するとともに、中国やインドからの知識が集まっていた。

そんななかの820年、フワーリズミーは最古の代数学の教科書『約分と消約の計算の書』を著し、ローマ数字に代わってアラビア数字で計算することで、計算が飛躍的に簡単にできることを紹介した。さらに825年の『インドの数の計算法』では、アラビア数字による十進法表記で、空いている桁にゼロを使用し、四則演算から二次方程式の解法、三角法などを解説している。
12世紀になり『インドの数の計算法』はラテン語に翻訳され、『アルゴリトミ』というタイトルで西洋に紹介された。その後、500年にわたってヨーロッパ各地の大学で数学の教科書として用いられ、アルゴリズムの語源となった。

フワーリズミーは、アラビアとインドの天文学を融合し、三角法を駆使することで、正確な天文表を作成した。日時計や観象儀(アストロラーベ)を作成したとされる。
さらに、プトレマイオスの世界論を受け継いだ世界地図の作成にも携わった。

そんななかの820年、フワーリズミーは最古の代数学の教科書『約分と消約の計算の書』を著し、ローマ数字に代わってアラビア数字で計算することで、計算が飛躍的に簡単にできることを紹介した。さらに825年の『インドの数の計算法』では、アラビア数字による十進法表記で、空いている桁にゼロを使用し、四則演算から二次方程式の解法、三角法などを解説している。
12世紀になり『インドの数の計算法』はラテン語に翻訳され、『アルゴリトミ』というタイトルで西洋に紹介された。その後、500年にわたってヨーロッパ各地の大学で数学の教科書として用いられ、アルゴリズムの語源となった。

フワーリズミーは、アラビアとインドの天文学を融合し、三角法を駆使することで、正確な天文表を作成した。日時計や観象儀(アストロラーベ)を作成したとされる。
さらに、プトレマイオスの世界論を受け継いだ世界地図の作成にも携わった。
この時代の世界
(この項おわり)