西暦750年 - アッバース朝が成立

すべてのイスラム教徒は平等
アッバース・モスク
アッバース・モスク
イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバースの子孫アブー=アルアッバースが750年にクーデターを起こし、ウマイヤ朝の最後のカリフ・マルワーン2世をザーブ河畔の戦いで破り、アッバース朝を創始した。

ウマイヤ朝に続き、アッバース朝でもカリフは世襲制で、アッバース家が代々世襲した。
また、官僚制度や法律を整備し、税制をあらため、アラブと非アラブの平等化を図り、多民族共同体国家としてアラブ帝国をイスラーム帝国に変身させた。
第2代カリフマンスールが、762年、首都バグダッドの建設を開始。
首都バグダッドを中心に交通・通信網を整備し、最盛期にはモロッコから中央アジアまでの西アジアに巨大なイスラム帝国を築いていく。
中央アジアでは唐と領土を接することになり、はやくも751年にタラス河畔の戦いが起こり、唐を撃退した。
786年、ハールーン・アッラシードが即位すると、アッバース朝は最盛期を迎える。

アッバース朝は、建国に際してはシーア派の支援を受けたが、権力を握るとスンナ派の立場に立って、シーア派を厳しく弾圧した。
これに対し、イラン人によるブワイフ朝や、エジプト人によるファーティマ朝はシーア派と呼ばれ、イスラム教徒の約1割を占める少数派である。

アッバース朝は、1258年にモンゴル帝国に征服されるまで続く。

この時代の世界

625 675 725 775 825 750 アッバース朝が成立 722 754 アブー=アルアッバース 751 タラス河畔の戦い 766 809 ハールーン・アッラシード 732 トゥール・ポアティエの戦い 712 775 マンスール 786 ハールーン・アッラシードが即位 731 788 アブド・アッラフマーン1世 714 768 ピピン 800 カールの戴冠 742 814 カール大帝 750 816 レオ3世 793 ヴァイキングがイングランドへ侵入 760 811 ニケフォロス1世 793 ヴァイキングがイングランドへ侵入 755 763 安史の乱 685 762 玄宗 719 756 楊貴妃 705 757 安禄山 710 761 史思明 711 762 粛宗 726 779 代宗 742 805 徳宗 688 763 鑑真 752 大仏の開眼供養 701 756 聖武天皇 701 760 光明皇后 718 770 孝謙天皇→称徳天皇 709 781 光仁天皇 784 長岡京へ遷都 794 平安京へ遷都 694 藤原京に遷都 683 707 文武天皇 701 大宝律令 668 749 行基 710 平城京に遷都 680 748 元正天皇 768 春日大社の創建 737 806 桓武天皇 Tooltip
(この項おわり)
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