西暦1740年 - オーストリア継承戦争

プロイセンの勃興
フォントノワの戦い
フォントノワの戦い
1740年、カール6世が没すると、ハプスブルク家の男系男子は途絶える。長女マリア・テレジアが相続するが、これをめぐってオーストリア継承戦争が勃発する。
カール6世
カール6世
1683年から1714年にかけ、ハプスブルク家は、第二次ウィーン包囲に端を発する対オスマン戦争、プファルツ継承戦争(9年戦争)、スペイン継承戦争と、三十年戦争に続いて再び30年におよぶ戦争を戦った。
その結果、ハプスブルク家は領土を倍増させ、神聖ローマ皇帝カール6世の時代、国力と勢威を大いに増した。また、ウィーンはハプスブルク君主国の首都として本格的に発展していくこととなる。
マリア・テレジア
マリア・テレジア
1713年、カール6世は国事詔書 (プラグマティッシェ・ザンクチオン) を定め、ハプスブルク家の領土の不可分と、男子のいない場合の女性の家督相続を認めた。
1740年、カール6世が没すると、ハプスブルク家の男系男子が途絶えた。国事詔書にしたがい、長女のマリア・テレジアが相続するが、プロイセン王国のフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)が相続の条件として、機業・鉱産業が盛んなシュレジェンの割譲を求めた。また、女性のマリア・テレジアは神聖ローマ皇帝に即位することはできず、帝国内の有力諸侯バイエルン公ザクセン選帝侯が皇帝に立候補した。これにフランス王ルイ15世が協調した。
フリードリヒ2世
フリードリヒ2世
戦端を開いたのはフリードリヒ2世だった。シュレジェンへ侵攻し、翌年、中心都市ブレスラウ(現在のヴロスラウ)を占領した。フリードリヒ2世に呼応したフランス軍もオーストリア領に侵入し,プラハを占領した。
1742年、フランスが後押しするバイエルン公選帝侯が神聖ローマ皇帝に選出され、カール7世となった。ハプスブルク朝は、いったん途切れる。
フランツ1世
フランツ1世
一方、植民地ではフランスやスペインと対立しているイギリスとロシアがハプスブルク家を支援した。イギリスの経済的援助に支えられ、次第にオーストリア軍は盛り返し、1748年、アーヘンの和約(エクス・ラ・シャペル条約)によって講和する。マリア・テレジアがオーストリア国王(正確にはオーストリア大公妃)に、夫のフランツ1世が神聖ローマ皇帝に即位するが、シュレジエン地方をプロイセンに割譲することになった。
ヨーゼフ2世
ヨーゼフ2世
1765年、皇帝フランツ1世が没すると、長男のヨーゼフが後を継いだ(ヨーゼフ2世)。マリア・テレジアが没するまでの以後15年間、ハプスブルク君主国はマリア・テレジア、ヨーゼフ、カウニッツの「三頭体制」により統治されることとなる。
この頃、ヨーロッパではバロック音楽が流行していた。啓蒙専制君主を自称していたフリードリヒ2世は、バロック音楽を集大成した J.S.バッハのの次男エマヌエルを宮廷音楽家として迎え、自身もフルートを吹くなどして演奏に加わっていた。

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