西暦1740年 - オーストリア継承戦争

プロイセンの勃興
フォントノワの戦い
三十年戦争の被害が少なかったオーストリアとプロイセンが勢力を伸ばしていた。
そんな中、神聖ローマ皇帝カール 6 世の没後、娘のマリア・テレジアがハプスブルク家を継承したことをめぐり、フランスのルイ 15 世やプロイセンのフリードリヒ大王が反対し、1740 年(元文 5 年)、オーストリア継承戦争が起きる。
フランスと対立するイギリスは、オーストリアを支援する。
1748 年(延享 5 年)、アーヘンの和約(エクス・ラ・シャペル条約)によって戦争は終結する。
マリア・テレジアがオーストリア国王に、夫のフランツ 1 世が神聖ローマ皇帝に即位するが、シュレジエン地方をプロイセンに割譲することになる。

この頃、ヨーロッパではバロック音楽が流行していた。啓蒙専制君主を自称していたフリードリヒ大王は、バロック音楽を集大成した J.S.バッハのの次男エマヌエルを宮廷音楽家として迎え、自身もフルートを吹くなどして演奏に加わっていた。

この時代の世界

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(この項おわり)
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