西暦1740年 - オーストリア継承戦争

プロイセンの勃興
フォントノワの戦い
三十年戦争の被害が少なかったオーストリアとプロイセンが勢力を伸ばしていた。
そんな中、神聖ローマ皇帝カール 6 世の没後、娘のマリア・テレジアがハプスブルク家を継承したことをめぐり、フランスのルイ 15 世やプロイセンのフリードリヒ大王が反対し、1740 年、オーストリア継承戦争が起きる。
フランスと対立するイギリスは、オーストリアを支援する。
1748 年、アーヘンの和約(エクス・ラ・シャペル条約)によって戦争は終結する。
マリア・テレジアがオーストリア国王に、夫のフランツ 1 世が神聖ローマ皇帝に即位するが、シュレジエン地方をプロイセンに割譲することになる。

この頃、ヨーロッパではバロック音楽が流行していた。啓蒙専制君主を自称していたフリードリヒ大王は、バロック音楽を集大成した J.S.バッハのの次男エマヌエルを宮廷音楽家として迎え、自身もフルートを吹くなどして演奏に加わっていた。
1625 1675 1725 1775 1825 1740 1748 オーストリア継承戦争 1710 1774 ルイ15世 1717 1780 マリア・テレジア 1712 1786 フリードリヒ大王 1685 1740 カール6世 1683 1746 フェリペ5世 1756 1763 七年戦争 1762 「社会契約論」「エミール」が発禁に 1712 1778 ルソー 1748 「法の精神」の出版 1689 1755 モンテスキュー 1694 1778 ヴォルテール 1726 「ガリバー旅行記」の出版 1667 1745 スウィフト 1725 バイオリン協奏曲「四季」発表 1678 1741 ヴィヴァルディ 1685 1750 バッハ 1663 1729 トーマス・ニューコメン 1716 享保の改革 1731 1732 享保の大飢饉 1698 1769 青木昆陽 1677 1751 大岡忠相 1684 1751 徳川吉宗 1702 赤穂浪士の討ち入り 1707 宝永の大噴火 1707 宝永地震 1709 1716 徳川家継 1653 1724 近松門左衛門 1689 おくのほそ道 1657 1725 新井白石 1654 1722 康煕帝 1689 ネルチンスク条約 1678 1735 雍正帝 1689 ネルチンスク条約 1672 1725 ピョートル1世 1688 1747 ナーディル・シャー Tooltip
(この項おわり)
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