黒部ダムでダムカレー

2018年8月14日 撮影
黒部ダム
大きな写真大きな写真
(3840×1921 ピクセル, 3510 Kbyte)
黒部ダム
大きな写真大きな写真
(3840×1569 ピクセル, 2616 Kbyte)
黒部ダム
黒部ダム(富山県中新川郡立山町芦峅寺)は、アーチダムの中でも力学的に最も進歩したアーチ式ドーム型ダムで、その高さは186メートルと国内で最も高い。新宿の超高層ビル群に匹敵する高さだ。堤頂長492.0メートル、堤体積158万立方メートル、ともに国内第1位である。

アーチ式ダムは、水の圧力を両岸の山で受け止めることで、コンクリートの量を減らし建設コストを安く抑えられるとともに、工期を短くすることができる。
黒部ダムは、1956年(昭和31年)7月に着工し、総工費513億円、のべ1000万人を投入して、1963年(昭和38年)6月5日に竣工した。
黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1680×2560 ピクセル, 1662 Kbyte)
中心部 - 黒部ダム
黒部川第四発電所を有することから、黒四ダムとも呼ばれる。
堤の幅は約8メートルあり、自動車も走行できる。ダム中心部には、写真の看板がかけられている。標高は1,454メートルである。

毎年6月26日から10月15日にかけ、観光放水が行われる。観光放水は毎秒10トンにも及ぶが、発電に使っている水量の7分の1でしかない。
黒部川第四発電所は10km下流にあり、景観保護と積雪対策のため、変電設備とともに岩盤をくりぬいた中にある。
中心部 - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1318×1920 ピクセル, 1381 Kbyte)
真下 - 黒部ダム
黒部ダムから引いてきた水を、最大で毎秒72立方メートル、545.5メートルを落とすことで、最大出力は33.5万kWを誇る。ダム式水力発電所の発電能力としては国内第4位である。
真下 - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 1305 Kbyte)
黒部ダム
観光放水では、そのまま放水すると川底が削れてしまうため、水を霧状にして放水している。太陽光の角度によって、美しい虹を見ることができる。
黒部ダムの大きな写真大きな写真
(2560×1662 ピクセル, 1392 Kbyte)
黒部ダム
電力業界の再編成によって、1951年(昭和26年)5月、関西電力が発足した。だが、戦後復興のための電力が不足しており、関西地域の工場は週2日、一般家庭では週3日、電力制限が課せられる有様だった。
そこで大型の火力発電所が相次いで建設されたが、時々刻々と変化する電力需要に対し、出力調整が追いつかないという弱点があった。ここで、稼動から20分ほどでフル出力に達する水力発電が注目され、1956年(昭和31年)6月、黒部川ダム四発電所建設事務所が開設された。ダム工事を7年で終わらせなければ、大阪が大停電に見舞われる瀬戸際だった。
ちなみに、第三発電所(仙人谷ダム)までは戦前に発電開始している。
黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 1915 Kbyte)
大町トンネル - 黒部ダム
ダム本体工事を受注したのは間組 (はざまぐみ) (現・安藤ハザマ)で、生涯で11のダムを造った大蝮こと中村 (くわし) が現場監督を務めた。
1956年(昭和31年)10月、ダム建設資材を運搬するため、信濃大町駅から大町トンネルの掘削が始まった。現在、大町トンネルは関電トンネルと名前を変え、立山黒部アルペンルートとして、黒部ダム駅から扇沢駅までトロリーバスが走っている。

大町トンネルは、厳冬期も休まず掘り続けられたが、1957年(昭和32年)5月1日、抗口から1,691メートルの地点で突然、水温4℃、毎秒660リットルの冷たい地下水が噴き出した。破砕帯 (はさいたい) にぶつかったのである。坑道は水没し、7月には掘削作業が止まってしまった。
大町トンネル - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1031 Kbyte)
気温 - 黒部ダム
だが、「黒四に手を貸そう」を合い言葉に、わが国の地質学会、土木学会は持てる知識と経験の全てを投入し、水抜き抗を掘り、ボーリングによって薬液やセメントを注入し、わずか80メートルの距離を7ヵ月かけて突破したのである。

トロリーバスで移動していると、破砕帯のあった場所は青い照明に変わる。
黒部ダム駅までは徒歩移動になるが、気温は20℃以下と、有り余る電力でエアコンを全力運転しているような涼しさである。
気温 - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1261×1600 ピクセル, 637 Kbyte)
黒部ダム
一方で、大町トンネルの完成を待っていては納期に間に合わない。そこで中村は、地元はもちろん、富士山からも強力 (ごうりき) を呼び寄せ、富山県側からブルドーザーで標高2,700メートルの立山を越えて重機や資材を運搬するルートを開削した。さらに、長野県側からの大町トンネル掘削が難航していたことから、この年に始まった南極越冬隊に倣って越冬隊を組織し、黒部谷から迎え掘り工事を開始した。黒部谷は厳冬期に氷点下20℃にも下がったという。それでも掘削工事は続いた。

1958年(昭和33年)5月、大町トンネルは開通した。黒部ルート(黒部ダム~仙人谷)の工事も1959年(昭和34年)に貫通した。
黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 1744 Kbyte)
黒部ダム
工期の遅れを取り戻すべく6月20日に大発破を敢行し、9月にダムコンクリートの打ち込みが始まった。1960年(昭和35年)10月1日、コンクリートを打ち込みながらダムの貯水が始まる。発電所の建設も進められ、1961年(昭和36年)1月15日、発電開始する。25万kWの発電量は、当時の大阪の電力需要の約半分を賄った。

1963年(昭和38年)6月5日、黒部ダムは竣工する。投入されたセメントは641,000トン(うちダム用は372,000トン)、鋼材は23,000トン、工事にはのべ1千万人がかかわった。
黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1686×2560 ピクセル, 2349 Kbyte)
黒部川第四発電所
黒部川第四発電所
1973年(昭和48年)6月18日、4号発電機が稼働を始め、総出力は335,000kWとなった。黒部川には12箇所の水力発電所があるが、2017年(平成29年)現在の総出力の37%をくろよんが占める。
黒部川第四発電所については、「黒部ダム:黒部ルートを使って内側から施設見学」をご覧いただきたい。
太陽光発電や風力発電は、発電量を自在に調整することができない。出力調整が容易にできる再生可能エネルギーとして、これからも水力発電のニーズが無くなることはないだろう。
黒部ダム建設の模様は、2001年(平成13年)、NHKのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で取り上げられ、このDVDは黒部ダム周辺の土産物屋で販売している。反響は大きく、2002年(平成14年)のNHK紅白歌合戦では、中島みゆきが番組主題歌『地上の星』を、黒部川第四発電所前駅構内のトンネル内で歌った。

毎日新聞に連載された、トンネル工事を中心に描いた小説『黒部の太陽』(木本正次,1964年)は、1968年(昭和43年)、石原裕次郎の主演で映画化された。1969年(昭和44年)、2009年の二度にわたり、テレビドラマ化もなされている。
2016年(平成28年)4月から放映されたアニメ『クロムクロ』は、黒部ダムを中心に、富山県の観光名所が舞台となった。
カンパ谷吊り橋 - 黒部湖
黒部川は急峻な黒部峡谷を流れ下ることから水力発電に有利なのだが、同時に、大量の土砂も流れ込んできてダムの貯水量を減らす。
黒部ダムの総貯水量は約2億立方メートルだが、国土交通省による2014年(平成26年)の調査では、2500万トンの堆砂がある。

出し平ダム宇奈月ダムが連携排砂を行っており、竣工後50年を経ても、
堆砂率は12.5%にとどまっている。水力発電は貯水量に左右されるわけではないから、このまま300年以上、発電を続けられる計算になる。
カンパ谷吊り橋 - 黒部湖の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1267 Kbyte)
カンパ谷吊り橋 - 黒部湖
黒部湖駅から湖畔伝いの遊歩道を進むと、長さ60メートルのカンパ谷吊り橋がある。
カンパ谷吊り橋を渡ると、ブナの原生林の中を散策できる遊歩道が整備されている。

黒部ダムは中部山岳国立公園特別地域内にあり、野生の動植物の保護のため、ペットを連れての立ち入りはできない。もちろん、植物を採取したり、釣りも禁止である。
カンパ谷吊り橋 - 黒部湖の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1214 Kbyte)
カンパ谷吊り橋 - 黒部湖
カンパ谷吊り橋から、黒部ダムと黒部湖を一望にすることができる。
カンパ谷吊り橋 - 黒部湖の大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 1909 Kbyte)
湖遊覧船ガルベ - 黒部湖
満水時の湖面の標高が1,448メートルと、日本一の高さを誇る黒部湖を、30分かけて1周する湖遊覧船ガルベである。
ナイスボートではないので、念のため😀
湖遊覧船ガルベ - 黒部湖の大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 2601 Kbyte)
湖遊覧船ガルベ - 黒部湖
カンパ谷吊り橋の手前に乗船券売場があり、ここから階段を約170段下って船着き場へ向かう。湖面の高さによって上り下りする段数が変わるので注意。この歳で170段を上るのは、かなりシンドイ😓

遊覧船は、黒部ダム完成から6年後の1969年(昭和44年)から初代「黒部丸」が営業開始。2代目のガルベは2000年(平成12年)に就航。ガルベは、アイヌ語で「魔の川」を意味し、黒部の語源とされ、公募で名付けられ。ピーク時は年間約5万5千人が乗船したが、2023年(令和5年)は約1万8千人と低迷。戦隊の老朽化も重なり、2024年(令和6年)11月10日をもって営業終了することになった。
湖遊覧船ガルベ - 黒部湖の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 1885 Kbyte)
湖遊覧船ガルベ - 黒部湖
湖遊覧船ガルベからカンパ谷吊り橋を見上げる。
湖遊覧船ガルベ - 黒部湖の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1590 Kbyte)
奥鐘山 - 黒部ダム
黒部ダムの先に、標高2,300メートルの南峰が見える。
奥鐘山 - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 1335 Kbyte)
御山谷半島 - 黒部ダム
カンパ谷吊り橋の先に延びる遊歩道は、写真の御山谷半島まで延びている。
御山谷半島 - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(2560×1704 ピクセル, 1822 Kbyte)
黒部ダム
黒部ダムへのアクセスは、立山黒部アルペンルートに限られる。長野県側からのアクセスが近く、扇沢駅から関電トンネル・トロリーバスで16分。
扇沢駅には駐車場があり、自家用車の方はここに車を停めることになる。電車で来るには、JR信濃大町駅から路線バスで扇沢駅へ向かうか、北陸新幹線・長野駅から特急バスで扇沢駅へ向かう。
黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 1902 Kbyte)
展望台など - 黒部ダム
黒部ダム駅側には、標高1508メートルの展望台、放水観覧ステージ、新展望台がある。ただし、エレベーター、エスカレーターの類いはないので注意。展望台へは220段の階段を上らなければならない。
展望台など - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 2261 Kbyte)
黒部ダム
黒部ダム駅側には、3階建ての黒部ダムレストハウスがある。2階がレストランになっており、名物の「黒部ダムカレー」を注文した。
黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1920×1440 ピクセル, 1468 Kbyte)
ダムカレー - 黒部ダム
食券を買って、座席を確保。待つこと15分ほどでカレーが出てきた。
ライスがアーチダムの形をしている。後味が、そこそこに辛い。

日本ダムカレー協会によると、2009年(平成21年)頃からダムカレーが全国に登場したという。とくに定義はないが、「ダム近隣の飲食店で提供されているカレー」または「主にカレーであることをモチーフとしたカレー」を指すとしている。
黒部ダムレストハウスでは、長野県側の大町市でダムカレーへの取り組みが始まり、本場ならではのこだわりでダムの造形や色合いを表現したという。
ダムカレー - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(1244×1920 ピクセル, 684 Kbyte)
殉職者慰霊碑 - 黒部ダム
レストハウスの先には、建設工事で犠牲となった171名を悼む殉職者慰霊碑がある。犠牲者全員の名前を刻んだプレートと、写真のレリーフ。その下には焼香台がおかれていた🙏
殉職者慰霊碑 - 黒部ダムの大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 1802 Kbyte)

周辺写真

近隣の情報

黒部ダム 関連

参考サイト

(この項おわり)
header