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黒部ダムから引いてきた水を、最大で毎秒72立方メートル、545.5メートルを落とすことで、最大出力は33.5万kWを誇る。ダム式水力発電所の発電能力としては国内第4位である。
観光放水では、そのまま放水すると川底が削れてしまうため、水を霧状にして放水している。太陽光の角度によって、美しい虹を見ることができる。
電力業界の再編成によって、1951年(昭和26年)5月、関西電力が発足した。だが、戦後復興のための電力が不足しており、関西地域の工場は週2日、一般家庭では週3日、電力制限が課せられる有様だった。
そこで大型の火力発電所が相次いで建設されたが、時々刻々と変化する電力需要に対し、出力調整が追いつかないという弱点があった。ここで、稼動から20分ほどでフル出力に達する水力発電が注目され、1956年(昭和31年)6月、黒部川ダム四発電所建設事務所が開設された。ダム工事を7年で終わらせなければ、大阪が大停電に見舞われる瀬戸際だった。
ちなみに、第三発電所(仙人谷ダム)までは戦前に発電開始している。
そこで大型の火力発電所が相次いで建設されたが、時々刻々と変化する電力需要に対し、出力調整が追いつかないという弱点があった。ここで、稼動から20分ほどでフル出力に達する水力発電が注目され、1956年(昭和31年)6月、黒部川ダム四発電所建設事務所が開設された。ダム工事を7年で終わらせなければ、大阪が大停電に見舞われる瀬戸際だった。
ちなみに、第三発電所(仙人谷ダム)までは戦前に発電開始している。
ダム本体工事を受注したのは間組(現・安藤ハザマ)で、生涯で11のダムを造った大蝮こと中村精が現場監督を務めた。
1956年(昭和31年)10月、ダム建設資材を運搬するため、信濃大町駅から大町トンネルの掘削が始まった。現在、大町トンネルは関電トンネルと名前を変え、立山黒部アルペンルートとして、黒部ダム駅から扇沢駅までトロリーバスが走っている。
大町トンネルは、厳冬期も休まず掘り続けられたが、1957年(昭和32年)5月1日、抗口から1,691メートルの地点で突然、水温4℃、毎秒660リットルの冷たい地下水が噴き出した。破砕帯にぶつかったのである。坑道は水没し、7月には掘削作業が止まってしまった。
1956年(昭和31年)10月、ダム建設資材を運搬するため、信濃大町駅から大町トンネルの掘削が始まった。現在、大町トンネルは関電トンネルと名前を変え、立山黒部アルペンルートとして、黒部ダム駅から扇沢駅までトロリーバスが走っている。
大町トンネルは、厳冬期も休まず掘り続けられたが、1957年(昭和32年)5月1日、抗口から1,691メートルの地点で突然、水温4℃、毎秒660リットルの冷たい地下水が噴き出した。破砕帯にぶつかったのである。坑道は水没し、7月には掘削作業が止まってしまった。
だが、「黒四に手を貸そう」を合い言葉に、わが国の地質学会、土木学会は持てる知識と経験の全てを投入し、水抜き抗を掘り、ボーリングによって薬液やセメントを注入し、わずか80メートルの距離を7ヵ月かけて突破したのである。
トロリーバスで移動していると、破砕帯のあった場所は青い照明に変わる。
黒部ダム駅までは徒歩移動になるが、気温は20℃以下と、有り余る電力でエアコンを全力運転しているような涼しさである。
トロリーバスで移動していると、破砕帯のあった場所は青い照明に変わる。
黒部ダム駅までは徒歩移動になるが、気温は20℃以下と、有り余る電力でエアコンを全力運転しているような涼しさである。
一方で、大町トンネルの完成を待っていては納期に間に合わない。そこで中村は、地元はもちろん、富士山からも強力を呼び寄せ、富山県側からブルドーザーで標高2,700メートルの立山を越えて重機や資材を運搬するルートを開削した。さらに、長野県側からの大町トンネル掘削が難航していたことから、この年に始まった南極越冬隊に倣って越冬隊を組織し、黒部谷から迎え掘り工事を開始した。黒部谷は厳冬期に氷点下20℃にも下がったという。それでも掘削工事は続いた。
1958年(昭和33年)5月、大町トンネルは開通した。黒部ルート(黒部ダム~仙人谷)の工事も1959年(昭和34年)に貫通した。
1958年(昭和33年)5月、大町トンネルは開通した。黒部ルート(黒部ダム~仙人谷)の工事も1959年(昭和34年)に貫通した。
工期の遅れを取り戻すべく6月20日に大発破を敢行し、9月にダムコンクリートの打ち込みが始まった。1960年(昭和35年)10月1日、コンクリートを打ち込みながらダムの貯水が始まる。発電所の建設も進められ、1961年(昭和36年)1月15日、発電開始する。25万kWの発電量は、当時の大阪の電力需要の約半分を賄った。
1963年(昭和38年)6月5日、黒部ダムは竣工する。投入されたセメントは641,000トン(うちダム用は372,000トン)、鋼材は23,000トン、工事にはのべ1千万人がかかわった。
1963年(昭和38年)6月5日、黒部ダムは竣工する。投入されたセメントは641,000トン(うちダム用は372,000トン)、鋼材は23,000トン、工事にはのべ1千万人がかかわった。
1973年(昭和48年)6月18日、4号発電機が稼働を始め、総出力は335,000kWとなった。黒部川には12箇所の水力発電所があるが、2017年(平成29年)現在の総出力の37%をくろよんが占める。
黒部川第四発電所については、「黒部ダム:黒部ルートを使って内側から施設見学」をご覧いただきたい。
黒部川第四発電所については、「黒部ダム:黒部ルートを使って内側から施設見学」をご覧いただきたい。
太陽光発電や風力発電は、発電量を自在に調整することができない。出力調整が容易にできる再生可能エネルギーとして、これからも水力発電のニーズが無くなることはないだろう。
黒部ダム建設の模様は、2001年(平成13年)、NHKのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で取り上げられ、このDVDは黒部ダム周辺の土産物屋で販売している。反響は大きく、2002年(平成14年)のNHK紅白歌合戦では、中島みゆきが番組主題歌『地上の星』を、黒部川第四発電所前駅構内のトンネル内で歌った。
毎日新聞に連載された、トンネル工事を中心に描いた小説『黒部の太陽』(木本正次,1964年)は、1968年(昭和43年)、石原裕次郎の主演で映画化された。1969年(昭和44年)、2009年の二度にわたり、テレビドラマ化もなされている。
黒部ダム建設の模様は、2001年(平成13年)、NHKのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で取り上げられ、このDVDは黒部ダム周辺の土産物屋で販売している。反響は大きく、2002年(平成14年)のNHK紅白歌合戦では、中島みゆきが番組主題歌『地上の星』を、黒部川第四発電所前駅構内のトンネル内で歌った。
毎日新聞に連載された、トンネル工事を中心に描いた小説『黒部の太陽』(木本正次,1964年)は、1968年(昭和43年)、石原裕次郎の主演で映画化された。1969年(昭和44年)、2009年の二度にわたり、テレビドラマ化もなされている。
2016年(平成28年)4月から放映されたアニメ『クロムクロ』は、黒部ダムを中心に、富山県の観光名所が舞台となった。
黒部川は急峻な黒部峡谷を流れ下ることから水力発電に有利なのだが、同時に、大量の土砂も流れ込んできてダムの貯水量を減らす。
黒部ダムの総貯水量は約2億立方メートルだが、国土交通省による2014年(平成26年)の調査では、2500万トンの堆砂がある。
出し平ダムや宇奈月ダムが連携排砂を行っており、竣工後50年を経ても、
堆砂率は12.5%にとどまっている。水力発電は貯水量に左右されるわけではないから、このまま300年以上、発電を続けられる計算になる。
黒部ダムの総貯水量は約2億立方メートルだが、国土交通省による2014年(平成26年)の調査では、2500万トンの堆砂がある。
出し平ダムや宇奈月ダムが連携排砂を行っており、竣工後50年を経ても、
堆砂率は12.5%にとどまっている。水力発電は貯水量に左右されるわけではないから、このまま300年以上、発電を続けられる計算になる。
カンパ谷吊り橋から、黒部ダムと黒部湖を一望にすることができる。
カンパ谷吊り橋の手前に乗船券売場があり、ここから階段を約170段下って船着き場へ向かう。湖面の高さによって上り下りする段数が変わるので注意。この歳で170段を上るのは、かなりシンドイ😓
遊覧船は、黒部ダム完成から6年後の1969年(昭和44年)から初代「黒部丸」が営業開始。2代目のガルベは2000年(平成12年)に就航。ガルベは、アイヌ語で「魔の川」を意味し、黒部の語源とされ、公募で名付けられ。ピーク時は年間約5万5千人が乗船したが、2023年(令和5年)は約1万8千人と低迷。戦隊の老朽化も重なり、2024年(令和6年)11月10日をもって営業終了することになった。
遊覧船は、黒部ダム完成から6年後の1969年(昭和44年)から初代「黒部丸」が営業開始。2代目のガルベは2000年(平成12年)に就航。ガルベは、アイヌ語で「魔の川」を意味し、黒部の語源とされ、公募で名付けられ。ピーク時は年間約5万5千人が乗船したが、2023年(令和5年)は約1万8千人と低迷。戦隊の老朽化も重なり、2024年(令和6年)11月10日をもって営業終了することになった。
湖遊覧船ガルベからカンパ谷吊り橋を見上げる。
黒部ダムの先に、標高2,300メートルの南峰が見える。
カンパ谷吊り橋の先に延びる遊歩道は、写真の御山谷半島まで延びている。
黒部ダムへのアクセスは、立山黒部アルペンルートに限られる。長野県側からのアクセスが近く、扇沢駅から関電トンネル・トロリーバスで16分。
扇沢駅には駐車場があり、自家用車の方はここに車を停めることになる。電車で来るには、JR信濃大町駅から路線バスで扇沢駅へ向かうか、北陸新幹線・長野駅から特急バスで扇沢駅へ向かう。
扇沢駅には駐車場があり、自家用車の方はここに車を停めることになる。電車で来るには、JR信濃大町駅から路線バスで扇沢駅へ向かうか、北陸新幹線・長野駅から特急バスで扇沢駅へ向かう。
黒部ダム駅側には、標高1508メートルの展望台、放水観覧ステージ、新展望台がある。ただし、エレベーター、エスカレーターの類いはないので注意。展望台へは220段の階段を上らなければならない。
周辺写真
近隣の情報
- 黒部ダムでダムカレー:ぱふぅ家のホームページ
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参考サイト
- 黒部ダム
- 黒部ダムカレー:公式
- 黒部ダムカレーが長野県内サークルKで期間限定発売:長野県大町市観光協会
- 厳冬 黒四ダムに挑む~断崖絶壁の輸送作戦~:新プロジェクトX~挑戦者たち~,NHK
(この項おわり)