湯島聖堂は日本の学校教育発祥の地

2025年9月12日 撮影
大成殿 - 湯島聖堂
大成殿
湯島聖堂(東京都文京区湯島1-4-25)は、1690年(元禄3年)に、五代将軍・徳川綱吉が、上野忍岡の林羅山邸内にあった孔子廟をこの地へ移し、孔子廟を大成殿と改称して規模を拡大し、全体を聖堂と呼んだ。後に幕府直轄の学問所となった。
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土塀 - 湯島聖堂
土塀
JR中央線「御茶ノ水駅」聖橋口からでて、聖橋を渡ると、右手に土塀が出てくる。草木に隠れて分かりにくいが、そのなかに下へ下る階段がある。
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湯島聖堂
湯島聖堂
1797年(寛政9年)に、幕府直轄の昌平坂学問所を開設した。1872年(明治5年)に、現在の筑波大学、お茶の水女子大学の前身となる師範学校・女子師範学校が開設されるなど、「日本の学校教育発祥の地」とされている。
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仰高門 - 湯島聖堂
仰高門
湯島天満宮(湯島天神)とともに、合格祈願のために多くの受験生が訪れ、合格祈願の鉛筆を買っていく。国の史跡に指定されている。
1978年(昭和53年)に日本テレビ系列で放映されたドラマ『西遊記』(堺正章、夏目雅子、他)では、大成殿がロケ地になった。
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入徳門 - 湯島聖堂
入徳門
湯島聖堂は江戸時代に何度も焼失し、関東大震災でも被災し、大成殿をはじめとする建物は鉄筋コンクリート製に改築された。そんななか、1704年(元禄17年)に建造された入徳門 (にゅうとくもん) は、木造のまま残ってる。

入徳とは、朱熹の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也。」による。つまり、儒教の教えに入り、徳を身につける場所であることを意味する。徳川家綱は、儒学を愛好し、幕府の儒学振興に力を注いだ。

入徳門は、徳川家綱による揮毫。
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杏壇門 - 湯島聖堂
杏壇門
大成殿に至る最後の門が杏壇門 (きょうだんもん) である。間口20メートル、奥行4.7メートルの入母屋造り。
杏壇とは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址のこと。
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杏壇門 - 湯島聖堂
杏壇門
宋の乾興のとき、大殿(大成殿)を後方に移し、教授堂(講堂)の跡地を瓦敷きにして壇(高台)とし、周囲に杏を植え、金の党懐英が「杏壇二字碑」を建立。のちそこに門扉が設けられ、杏壇門の名称が付けられた。
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湯島聖堂
湯島聖堂
大成殿の構内には、1975年(昭和50年)に台湾のライオンズクラブから寄贈された世界最大の孔子像が鎮座している。大成殿は、土日曜、祝日のみ開放されており、見学可能である。
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大成殿 - 湯島聖堂
大成殿
大成殿の扁額は、財団法人斯文会総裁の伏見宮博恭王 (ふしみのみやひろやすおう) が揮毫したもの。
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 - 湯島聖堂
大成殿の屋根には、頭から潮を噴き上げている龍頭魚尾の鬼犾頭 (きぎんとう) と、その手前に、獅子の体に龍の爪を持った鬼龍子 (きりゅうし) と呼ぶ守護獣が配置されている。
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宥座之器 - 湯島聖堂
宥座之器
宥座の器 (ゆうざのき) は、壺状の器が空の時は傾き、ひしゃくで水をすくって器に注ぎ、ちょうどよい水量の時には真っ直ぐに立ち、それ以上水を入れると、ひっくり返ってこぼれてしまう。
孔子は「いっぱいに満ちて覆らないものはない」と、慢心や無理を戒めたという。
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交通アクセス

【鉄道】
  • 御茶水駅から徒歩約5分
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目的地:湯島聖堂
 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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