超新星SN 1054の想像図
西暦1054年(天喜2年)7月4日ごろ、おうし座に超新星 SN 1054 が出現した。中国の北宋の記録では「客星」と呼ばれ、23日間にわたって昼間にも見え、夜間は約653日後まで観測された。突然現れる客星は、当時の東アジアで政治や社会の異変を告げる天変と受け止められた。
1230年(寛喜2年)、藤原定家は自身の観測ではなく、陰陽師に過去の記録を調べさせ、『明月記』に「天喜二年四月中旬以後、丑の時、客星が東方に見え、天関星の近くで木星ほどの大きさだった」という趣旨を残した。この記録は、平安時代の陰陽寮が天文現象を観測・管理し、後世に伝えたことを示す貴重な史料である。
SN 1054は中国と日本で記録され、イブン・ブトラーンによる西アジアの記述も関係する可能性が論じられている。一方、同時代のヨーロッパの確実な記録は少なく、その理由は分かっていない。宗教観との関係を含め、候補史料の解釈は現在も研究が続いている。

20世紀前半、古記録にある客星の位置と、ガスが広がる速度から、SN 1054の残骸がかに星雲(メシエ1、M1)であることが確かめられた。1968年(昭和43年)には中心でかにパルサーが発見された。これは超新星爆発後に残った高密度の中性子星で、1秒間に約30回転する。かに星雲は、星の最期、超新星爆発、中性子星が周囲にエネルギーを与える仕組みを研究する代表的な天体となっている。
20世紀前半、古記録にある客星の位置と、ガスが広がる速度から、SN 1054の残骸がかに星雲(メシエ1、M1)であることが確かめられた。1968年(昭和43年)には中心でかにパルサーが発見された。これは超新星爆発後に残った高密度の中性子星で、1秒間に約30回転する。かに星雲は、星の最期、超新星爆発、中性子星が周囲にエネルギーを与える仕組みを研究する代表的な天体となっている。
参考サイト
この時代の世界
(この項おわり)
