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1215 年、イギリスのプランタジネット朝ジョン王は、63 条からなる「マグナ・カルタ」(大憲章、【羅】Magna Carta、【英】the Great Charter)を承認する。 マグナ・カルタは、貴族や都市の封建的特権を制約するもので、国王が課税する際にも貴族や聖職者の同意が必要になった。 マグナ・カルタのすべての条文はその後廃止されたが、前文のみは廃止されずに現行法として残っている。成文憲法を持たないイギリスにおいて、憲法の一部となっている。 |
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ちなみに、ジョン王は欠地王の別名がある通り、イギリス史上最も評判が悪い国王である。フランス王フィリップ 2 世に破れ、フランス内の領土の大部分を失った。また、教皇インノケンティウス 3 世に破門されるなど、失政に次ぐ失政で、ついに貴族から大憲章を突きつけられる羽目となる。 皮肉なことに、このマグナ・カルタが後のイギリス議会発展の礎となる。 1265 年、マグナ・カルタを無視したヘンリ 3 世に対して、イングランドの貴族であったシモン・ド・モンフォールが、貴族、聖職者、騎士、都市代表などによる議会を召集して政治改革を行なおうとした。 さらに 1295 年、エドワード 1 世が対スコットランド戦争に必要な資金を調達するために議会を招集する。議会構成は、上級聖職者・世俗貴族・騎士・市民、下級聖職者からなっており、とくに下級聖職者および州・都市の代表たる騎士・市民が参加した点で注目に値する。この議会は、のちに「模範議会」と呼ばれるようになる。 |
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(この項おわり)
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2009年11月12日 作成
2009年11月12日 更新
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