西暦1185年 - 壇ノ浦の戦い

平氏が滅亡する
和布刈神社 - 関門海峡 1185 年(元暦 2 年)、平知盛が指揮を執る平氏の水軍500艘と、摂津国の渡辺水軍、伊予国の河野水軍、紀伊国の熊野水軍などを味方につけた源義経が指揮する 840艘が、壇ノ浦(現在の山口県下関市)で衝突した。
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当初は海戦慣れしている平氏が優勢だったが、昼頃に潮目が変わり、平氏の船と源氏の船がいたるところで衝突し、白兵戦となった。
平氏の敗戦が色濃くなってくると、二位尼(平清盛の妻で安徳天皇の祖母)は、まだ 8 歳の安徳天皇を抱き三種の神器を身につけて入水した。
源氏は、後白河法王とはかって京都に後鳥羽天皇を立てており、これを正統にするために三種の神器の捜索を行った。しかし、勾玉と鏡は見つかったものの、草薙剣は発見できなかったと言われている。
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戦いは終わり、義経は建礼門院(安徳天皇の母で清盛の娘)や捕虜を連れて京へ凱旋した。
後白河法皇はこれを賞して義経とその配下の御家人たちを任官させた。ところが、これを知った源頼朝は激怒し、義経の鎌倉入りを拒絶した。
この後、頼朝と義経の対立は激化し、1189 年、義経は奥州藤原氏とともに滅ぶことになる。
YEAR
1100
1125
1150
1175
1200
1225
1250
 
1161
高倉天皇
1181
安徳天皇
1178
 
1185
 
1180
後鳥羽天皇
1239
 
1118
平清盛
1181
 
1147
源頼朝
1199
 
1159
源義経
1189
 
1154
源義仲
1184
 
1118
西行
1190

壇ノ浦付近の地図

【自動車】
  • 中国道「下関IC」より壇の浦方面へ 5 分で、みもすそ川公園に到着。無料駐車場有り。

この付近でネットができる宿

(この項おわり)
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