西暦1179年 - 治承三年の政変

後白河院政の停止
平清盛像(宮島)
平清盛像(宮島)
1179年(治承3年)11月20日、平清盛 (たいらのきよもり) が軍勢を率いて京都を制圧し、後白河院政を停止するという治承三年の政変 (じしょうさんねんのせいへん) が起きる。

平治の乱が収まり、平清盛は武士階級のトップとして政権の警察・軍事力を掌握していた。清盛は摂関家と緊密な関係を結び、1167年(仁安2年)に太政大臣にまで出世した。翌年、厳島神社に寄進し、今日のような海上社殿が造営された。
後白河上皇
後白河上皇
一方、1158年(保元3年)から院政を敷いていた後白河上皇 (ごしらかわじょうこう) は、嘉応元年(1169年)に出家して法皇 (ほうおう) となった。このとき、平清盛はともに東大寺で受戒し、後白河院政派との協調路線を保っていた。
高倉天皇
高倉天皇
平清盛は、妻・時子 (ときこ) の異母妹・滋子 (しげこ) 建春門院 (けんしゅんもんいん) )と後白河法皇との間に産まれた皇子が1171年(嘉応3年)に高倉天皇 (たかくらてんのう) として即位すると、娘の徳子 (とくし) (後の建礼門院 (けんれいもんいん) )を入内 (じゅだい) させて中宮 (ちゅうぐう) とし、皇室との繋がりを強めた。
平清盛像(音戸の瀬戸)
平清盛像(音戸の瀬戸)
こうして平氏一門は全国に500以上の荘園を保有し、日宋貿易を推進して莫大な財貨を手に入れていた。平清盛の義弟・平時忠 (たいらのときただ) は「平氏にあらずんば人にあらず」と言い放ったと伝えられる。
こうした平氏の隆盛に対し、後白河院政派は不快感をあらわにした。1176年(安元2年)、建春門院が没すると、両者の関係は急速に悪化する。
平重盛
平重盛
1178年(治承2年)11月、高倉天皇と中宮・徳子の間に待望の皇子が誕生する。平清盛は皇子を皇太子にすることを後白河法皇に迫り、12月に立太子させてしまう。
対する後白河法皇は、1179年(治承3年)7月、清盛の嫡男・平重盛 (たいらのしげもり) が病死すると、その所領の全てを没収してしまう。これに腹を立てた清盛は、11月14日、大軍を率いて上洛する。
驚いた後白河法皇は使者を立てて和解しようとするが、清盛はこれを聞き入れず、ついに11月20日、法皇は鳥羽殿に幽閉され、後白河院政は停止された。
安徳天皇
安徳天皇
1180年(治承4年)2月、高倉天皇は3歳になったばかりの皇太子に譲位した。安徳天皇 (あんとくてんのう) である。こうして、平氏の意のままに動く高倉院政が開始されることになる。

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参考書籍

表紙 院政 もうひとつの天皇制
著者 美川圭
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2006年10月
価格 902円(税込)
ISBN 9784121018670
院政とはすでに譲位した上皇(院)による執政をいう。平安後期には白河・鳥羽・後白河の三上皇が百年余りにわたって専権を振るい、鎌倉初期には後鳥羽上皇が幕府と対峙した。承久の乱の敗北後、朝廷の地位は低下したが、院政自体は、変質しながらも江戸末期まで存続する。退位した天皇が権力を握れたのはなぜか。その権力構造はどのようなものであったか。律令制成立期から南北朝期まで、壮大なスケールで日本政治史を活写する。
 
(この項おわり)
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