アリイオラニ・ハレとカメハメハ大王像

2018年6月24日 撮影
カメハメハ大王像
ホノルルのカメハメハ大王像
アリイオラニ・ハレ(Aliiolani Hale;417 King Street, Honolulu, Oahu, HI)の前庭に、カメハメハ大王(Kamehameha I)の銅像がある。
左手の槍は平和を象徴し、掲げた右手はハワイの繁栄を表している。
カメハメハ大王の銅像は、現在ハワイ州内に3箇所にある。ハワイ島のヒロ、カパアウ、そしてここ(オアフ島のホノルル)である。

Kamehameha はハワイ語で、「孤独な人」「静かな人」という意味がある。1758年、ハワイ島のカパアウで産まれたとされるが、定かではない。
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カメハメハ大王像
ヒロのカメハメハ大王像
1782年、ハワイ島の首長カラニオプウが死去すると、その長男キワラオを倒し、ハワイ島の支配を確立した。カメハメハは、イギリスから武器援助や軍事顧問を招聘し、近代的な軍隊を編成した。

1794年、マウイ島の首長カヘキリが老衰で亡くなると、すぐさまマウイ島に侵攻し、1795年にはオアフ島に逃れた長男カラニクプレを追い、ヌアヌ・パリで抵抗勢力を一掃した。そして、ホノルルでハワイ王朝樹立を宣言、カメハメハ1世として即位する。
1810年までに、残るカウアイ島、ニイハウ島も併合し、ついにハワイ統一を成し遂げる。
アリイオラニ・ハレ
アリイオラニ・ハレ
1819年5月、大王が没すると、長男がカメハメハ2世として即位する。その後、弟のカメハメハ3世、孫のカメハメハ4世へ王位が継承されてゆく。
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アリイオラニ・ハレ
アリイオラニ・ハレ
カメハメハ大王の孫、カメハメハ5世は1830年に生まれた。幼少期より欧米各国を訪問し、とくにイギリスでは厚遇を受け、1853年にはフリーメイソンのハワイアン・ロッジに加入した。
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アリイオラニ・ハレ
アリイオラニ・ハレ
しかし、奴隷制度が公認されていたアメリカでの扱いは冷たく、親英へ傾いていったと言われる。
1863年11月、カメハメハ4世の急逝を受けて即位。1864年に王権強化した新憲法を公布し、親英路線を明確にした。

アリイオラニ・ハレはハワイ語で「天の王様たちの家」という意味をもつ。ルネッサンス調の建物で、中は博物館になっており、無料で見学ができる。
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カメハメハ5世が宮殿として1872年2月に建設を開始するが、同年12月に5世は逝去する。5世は独身で王位継承者を指名することなく亡くなったため、議会がルナリロを国王として選出した。しかし、1874年2月、ルナリオも逝去。第7代国王カラカウアの代になって、ようやく完成した。しかし、カラカウア王は宮殿として、すぐ近くにイオラニ宮殿の建築を進めており、アリイオラニ・ハレは宮殿としては使われず、王国の官舎となった。

1878年、カラカウア王はキャプテンクック来島100周年記念にとカメハメハ大王像の鋳造をボストンの彫刻家Thomas R. Gouldに依頼した。Gouldはフィレンツェで原像を制作し、パリで鋳造され、ブレーメンから輸送船に載せてハワイへ送られた。ところが、1880年、輸送船はフォークランドで火災に見舞われ沈没。保険金で鋳造した2体目が、現在の銅像である。

1891年1月、カラカウア王がサンフランシスコで客死すると、リリウオカラニが女王として即位し、アメリカ人勢力との対決姿勢を強めた。1893年、アメリカ人勢力によるクーデターが起き、アリイオラニ・ハレに臨時政府が設立され、王政廃止と臨時政府樹立を宣言するハワイ革命が起きる。アメリカ海兵隊がイオラニ宮殿を包囲し、1895年1月、ついに国王廃位の署名にサインし、ハワイ王国は滅亡した。
ハワイ州弁護士事務所
ハワイ州弁護士事務所
アリイオラニ・ハレに隣接し、ハワイ州弁護士事務所の Territorial Office Building がある。1926年に完成した。
ここで、ハワイのステートIDを発行してもらえる。
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(この項おわり)
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