松本城は現存12天守の中で唯一の平城

2022年8月1日 撮影
松本城
松本城
松本城(長野県松本市丸の内4番1号)は、安土桃山時代末期から江戸時代初期に建造された現存12天守の1つとして、姫路城犬山城彦根城松江城と並んで国宝に指定されており、城趾は国の史跡に指定されている。
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松本城
松本城
戦国時代の永正年間(1504~1520年)に、信濃守護家・小笠原氏が林城を築城し、その支城の1つとして深志城 (ふかしじょう) が築城したのがはじまりとされている。
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松本城
松本城
その後、武田氏による信濃侵攻が始まり、1550年(天文19年)には林城、深志城が落城し、信濃守護・小笠原長時は追放された。
その後、武田氏の滅亡や本能寺の変に翻弄されたが、小笠原貞慶 (おがさわら さだよし) が旧領を回復し、松本城と改名した。
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松本城
松本城
1590年(天正18年)に豊臣秀吉小田原征伐に成功し、徳川家康が関東へ移封されると、家康の重臣で1585年(天正13年)に秀吉の元へ出奔した石川数正が入城し、息子の康長とともに天守を建設し、城郭と城下町を整備した。天守の建設は、関東の家康への牽制だったと言われている。
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松本城
松本城
江戸時代に入ると、松本藩の藩庁として機能した。
明治時代に入り、1872年(明治5年)に天守が競売にかけられるが、地元の有力者が買い戻した。1930年(昭和5年)に国の史跡に、1936年(昭和11年)に天守など5棟が国宝に指定された。
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松本城
松本城
1950年(昭和25年)から5年かけて解体復元工事が行われ、外壁は黒漆塗りになった。
5重6階の大天守を中心に、右が乾小天守、左が辰巳附櫓、その手前に月見櫓が見える。
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松本城
松本城
天守の建造年には、いくつかの説があるが、1591年(天正19年)から1615年頃に建造されたと考えられている。
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一の門 - 松本城
一の門
一の門は本丸へ入る重要な入口で、格調高い正式な門という意味で、当時の最高の色調である黒の名を冠して黒門と呼んだ。

門の屋根を見上げると歴代城主の家紋の付いた軒丸瓦 (のきまるがわら) が見られる。これは、天守解体修理の際、まだ使える瓦を保存して再利用したため。
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天守内部 - 松本城
天守内部
天守内部の構造。
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天守閣 - 松本城
天守閣
松本城は、標高590メートルの盆地内平地に位置する典型的な平城で、城郭を囲む三重の水堀と土塁、石垣、出入口や土塁の上に櫓や城門などを備えていた。三の丸内に武士を居住させて、防備を固めていた。
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天守閣からの眺望 - 松本城
天守閣からの眺望
現存12天守の中では、唯一の平城だ。

天守閣から松本市街を望む。
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現存12天守

  1. 弘前城(青森県)
  2. 松本城(長野県)
  3. 丸岡城(福井県)
  4. 犬山城(愛知県)
  5. 彦根城(滋賀県)
  6. 姫路城(兵庫県)
  7. 松江城(島根県)
  8. 備中松山城(岡山県)
  9. 丸亀城(香川県)
  10. 松山城(愛媛県)
  11. 宇和島城(愛媛県)
  12. 高知城(高知県)

交通アクセス

【鉄道】
  • 松本駅下車、徒歩約20分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:松本城
松本城 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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