江戸時代の初期に建てられたもので、丸亀城の表門となっている。高麗門とも呼ばれる。
門をくぐり正面の石垣に使用されている石は大きく、石きりのノミの跡も美しく仕上げられている。
門をくぐり正面の石垣に使用されている石は大きく、石きりのノミの跡も美しく仕上げられている。
大手一の門は1670年(寛文10年)の建築で、藩士が太鼓を打って時刻を知らせていたことから、太鼓門とも呼ばれる。
ひとかかえもありそうな大きな柱や梁で組まれ、堂々たる風格をみせている。
ひとかかえもありそうな大きな柱や梁で組まれ、堂々たる風格をみせている。
1597年(慶長2年)、築城の名人と言われた生駒親正・一正が建設に取りかかる。1615年(慶長20年)、一国一城令で廃城の危機にさらされるが、藩主・生駒正俊が城を守る。その後、山崎家治が丸亀藩を立ち上げ、改修に着手。代わって入封した京極氏が完成させた。
天守の屋根は本瓦葺で南北棟の入母屋造となっている。北側正面に入母屋部分を見せることによって、屋根を高く美しく見せる工夫がなされている。
2層目の南北側に唐破風、3層目の東西側に千鳥破風で装飾し、大手に面した北側3層目は格子付大窓で意匠を凝らし、漆喰で塗り込められている。小さいながら美しい天守である。
天守内部は、各階に柱を立て、隅柱の左右には添え柱を建てたり梁を渡すなど、堅固な造りとなっている。木材は、栂を中心に、檜や松も使っている。
壁面は漆喰を厚く塗り防御を固めるとともに、足下には非常時に打ち抜いて使う大筒狭間を設けている。
天守内部は、各階に柱を立て、隅柱の左右には添え柱を建てたり梁を渡すなど、堅固な造りとなっている。木材は、栂を中心に、檜や松も使っている。
壁面は漆喰を厚く塗り防御を固めるとともに、足下には非常時に打ち抜いて使う大筒狭間を設けている。
写真は、讃岐七富士のひとつ、飯野山(標高422メートル)だ。丸亀市と坂出市の境に位置する、おむすび型の山である。
延寿閣別館は、1933年(昭和8年)、麻布にあった京極家の江戸藩邸の一部を移築したもので、大名の生活が分かるように当時のまま保存されている。
2018年(平成30年)10月8日、丸亀城の南西部に位置する帯曲輪石垣が、東西約25メートル、南北約30メートル、高さ約17メートルにわたって崩落した。9月30日の台風24号の際の大雨が原因になったとみられている。
交通アクセス
【鉄道】
- JR丸亀駅下車、徒歩10分
- 高松自動車道「坂出IC」から西へ約5km。無料駐車場あり。
参考サイト
- 丸亀城
- 青春18きっぷで讃岐富士と丸亀城へ:アルクノのブログ
- 日本100名城クイズ・丸亀城:峠の居織
- 丸亀城石垣が崩壊:夢閑人倶楽部
- 丸亀城:気ままな時間
- 石垣の名城・丸亀城:ぶらり旅
近隣の情報
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(この項おわり)
1660年(万治3年)に建てられた天守は3階3層で、高さ15メートル。江戸時代以前からの天守が現存する現存12天守の中では最も小規模である。天守、大手一の門、大手二の門は国の重要文化財に指定されている。日本百名城の1つでもある。