今帰仁城跡は北山王の居城だった

2023年6月23日 撮影
今帰仁城跡
今帰仁城跡
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今帰仁城跡
今帰仁城跡
今帰仁城跡 (なきじんじょうあと) (沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地)は、1429年(正長2年)に琉球王国に統一される以前からあった三山鼎立時代の北山王の居城である。国の史跡、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(2000年登録)の構成要素である。
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チケット売場 - 今帰仁城跡
チケット売場
入場は有料。チケット売場で、城跡と歴史文化センターがセットになった入場券を買う。
ここには土産もの売場もある。
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城の茶屋 - 今帰仁城跡
城の茶屋
城趾入口の近くにある城の茶屋では、さとうきびを機械で絞り、生のさとうきびジュースを提供している。
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今帰仁城跡

今帰仁城跡
今帰仁城跡
現在の城郭跡は、12~13世紀頃に築城されたと考えられている。
標高100メートルの高さの丘の上に、南北350メートル、東西800メートル、面積37,000m2あり、沖縄県内最大級の (グスク) である。
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平郎門(本門) - 今帰仁城跡
平郎門(本門)
本門で、1962年(昭和37年)の琉球政府時代に修復された。

今帰仁城は、攀安知 (はんあんち) 時代に、中山軍 (ちゅうざんぐん) に滅ぼされてからは、監守が派遣されるようになった。1665年(寛文5年)に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残された。
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カンヒザクラ - 今帰仁城跡
カンヒザクラ
沖縄の桜といえばカンヒザクラ――旧暦の正月あたりに咲くことからガンジツザクラ(元日桜)と呼ばれることもある。今帰仁城跡は桜の名所として知られており、毎年1~2月に桜祭りが催される。
一方、ヤマザクラやソメイヨシノの分布南限は鹿児島県となっている。
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アカテツ - 今帰仁城跡
アカテツ
アカテツは、南西諸島や小笠原に分布し、公園樹や防潮林として利用される。木材は硬くて重く、薪炭材として優れている。
葉にゴムを含み、琉球王朝時代には漆器の朔として用いられたという。
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志慶真乙樽の歌碑 - 今帰仁城跡
志慶真乙樽の歌碑
志慶真乙樽 (しげまうとぅだる) の歌碑は、山北王の側室として輿入れした美女、志慶真乙樽をたたえる琉歌が詠まれている。
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ソイツギ - 今帰仁城跡
ソイツギ
今帰仁城内には御嶽 (うたき) のイベ(最も聖なる場所)が2つあり、大庭 (うーみゃ) の北西にあるソイツギは、旧暦8月のグスクウイミという祭祀の時、今帰仁ノ口が五穀豊穣を祈願する場所である。
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今帰仁城跡
今帰仁城跡
今帰仁城跡は標高100メートルの高さにあり、大庭 (うーみゃ) から北側に海を望むことができる。
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今帰仁里主所火の神 - 今帰仁城跡
今帰仁里主所火の神
今帰仁里主所 (さとぬしどころ) 火の神は、北山監守一族の火の神が祀られている。火は、家とそこに住む人々を守ると信じられており、旧暦8月10日には、今帰仁ノ口以下の神人 (かみんちゅ) が、現在も城ウイミの祭祀を執り行っている。
この火の神の祠は、太平洋戦争後に改築したもので、城跡の整備事業に伴って現在に位置に移された。
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主郭(本丸) - 今帰仁城跡
主郭(本丸)
主郭(本丸)は、場内でも中心的な建物があった場所で、発掘調査によって築城からは以上までの時期変遷を確認されている。
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今帰仁城跡
今帰仁城跡
14世紀はじめ、羽地按司(怕尼芝)が北山王国を建国した。14世紀中には、沖永良部島と与論島が北山王国の勢力範囲に入った。
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今帰仁城跡
今帰仁城跡
1385年(元中2年)に明との朝貢貿易を開始し、大いに栄えるが、1416年(または1422年)に攀安知 (はんあんち) が中山王国の尚巴志王 (しょう はしおう) によって滅ぼされた。次男の尚忠を北山監守として派遣した。
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今帰仁城跡
今帰仁城跡
今帰仁城は廃城となり、その後は北山監守が常駐した。
1609年(慶長14年)に薩摩藩が琉球王国に軍事侵攻を開始した。その際、今帰仁城が攻撃の第一目標となり、琉球王国側は組織的抵抗を見せなかったため、城に放火された。
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今帰仁城跡
今帰仁城跡
1611年(慶長16年)に、琉球王国の尚寧王 (しょうねいおう) は、「琉球は古来島津氏の附庸国である」と述べた起請文に署名させられた。
北山監守は、今帰仁朝幸 (なきじん ちょうこう) が就任したのを最後に、1665年(寛文5年)に廃止された。
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古宇利殿内 - 今帰仁城跡
古宇利殿内
古宇利殿内 (ふいでんない) は、古宇利島の方を向いた祠で、古宇利島の人々が旧暦8月に遙拝する。古い写真を元に、2010年(平成22年)に復元された。
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今帰仁歴史文化センター

今帰仁歴史文化センター
今帰仁歴史文化センター
今帰仁歴史文化センターは、チケット売場の近くにあり、「今帰仁村の歴史」「今帰仁村のムラ・シマ」「今帰仁の生活と文化」というテーマごとに3つの展示室があり、今帰仁城跡から発掘された品々も展示されている。
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歴史年表 - 今帰仁歴史文化センター
歴史年表
14世紀の北山王時代から現代に至る今帰仁の歴史年表――わかりやすい。
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中国の陶器 - 今帰仁歴史文化センター
中国の陶器
北山王は1395年(応永2年)に明との朝貢貿易をはじめ、中国から陶器が入ってきた。
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中国銭 - 今帰仁歴史文化センター
中国銭
明との貿易で使われた中国船。
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中継貿易早わかりパネル - 今帰仁歴史文化センター
中継貿易早わかりパネル
北山王の時代から琉球王国の時代に至るまで、沖縄は、日本と中国、朝鮮、東南アジアなどの各国間を結ぶ中継貿易で栄えた。
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今帰仁歴史文化センター
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千代金丸 - 今帰仁歴史文化センター
千代金丸
琉球王家に伝わる宝刀の1つ、千代金丸 (ちよがねまる) は、もともとは北山王の攀安知 (はんあんち) が愛用したもので、国宝に指定されている。刀は長さ82.2cm、重さ390グラムあり、展示されているものはレプリカである。
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燃料補助タンクを利用したボート - 今帰仁歴史文化センター
燃料補助タンクを利用したボート
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今帰仁村の生活 - 今帰仁歴史文化センター
今帰仁村の生活
写真上は、戦闘機の燃料補助タンクを利用したボート。燃料を使い果たすと切り離し落下させていた。それを拾ってボートや貯水タンクに利用した。/
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交通アクセス

【バス】
【自動車】
今帰仁城跡 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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