沖縄県では、毎年6月23日は慰霊の日として公休日になっており、沖縄戦の犠牲者の霊を慰め世界の恒久平和を願う。沖縄県内各地にある慰霊碑や平和の砦で祈りを捧げる。
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1950年(昭和25年)5月に地元の有志によって建立したが、老朽化のため、2000年(平成12年)6月に再建した。177柱の御霊を祀っている。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月26日、沖縄戦が始まった。上陸した米軍に対し、沖縄守備隊は持久戦を展開。80日余の激戦の末、6月23日に守備隊の司令官・牛島満大将らが自決し、日本軍の組織的戦闘が終わった。
沖縄戦終結から16年後の1961年(昭和36年)、米軍統治下にあった琉球政府立法院は、「住民の祝祭日に関する立法」として、沖縄戦の戦没者の霊を慰め平和を祈る日である「慰霊の日」を6月22日に定めた。その後、牛島大将の自決が6月23日であるとされたことを受け、1965年(昭和40年)3月の立法院会議で慰霊の日を6月23日に改めた。
1972年(昭和47年)に沖縄県は日本に復帰したが、6月23日には祝日法にないため休みでなくなった。そこで、1974年(昭和49年)10月に「『慰霊の日』を定める条例」を定め、県庁や各市町村役場、公立の小・中学校、高校などが公休日となった。毎年、慰霊の日には糸満市摩文仁の平和祈念公園にて沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、平和の礎へたくさんの遺族が訪れ礼拝している。
沖縄戦終結から16年後の1961年(昭和36年)、米軍統治下にあった琉球政府立法院は、「住民の祝祭日に関する立法」として、沖縄戦の戦没者の霊を慰め平和を祈る日である「慰霊の日」を6月22日に定めた。その後、牛島大将の自決が6月23日であるとされたことを受け、1965年(昭和40年)3月の立法院会議で慰霊の日を6月23日に改めた。
1972年(昭和47年)に沖縄県は日本に復帰したが、6月23日には祝日法にないため休みでなくなった。そこで、1974年(昭和49年)10月に「『慰霊の日』を定める条例」を定め、県庁や各市町村役場、公立の小・中学校、高校などが公休日となった。毎年、慰霊の日には糸満市摩文仁の平和祈念公園にて沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、平和の礎へたくさんの遺族が訪れ礼拝している。
平和の砦に隣接して並んでいるお墓――沖縄では風霜文化があったこと、父系の直系血族が一族の長として継承していく門中墓だったこと、台風によって壊れない造りが必要だったこと、納骨後に宴会を催すことなどから、本土に比べて大きな墓が造られた。
参考サイト
近隣の情報
- 沖縄慰霊の日:ぱふぅ家のホームページ
- 沖縄美ら海水族館の巨大水槽でジンベイザメやマンタを見る:ぱふぅ家のホームページ
- 国営沖縄記念公園(海洋博公園)でイルカショーを見る:ぱふぅ家のホームページ
- 琉宮城蝶々園で日本最大「オオゴマダラ」が舞う:ぱふぅ家のホームページ
- ステーキハウス88 美ら海店:ぱふぅ家のホームページ
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- ナゴパイナップルパークで自動運転のパイナップル号に乗車:ぱふぅ家のホームページ
- 古宇利大橋を渡って古宇利島へ:ぱふぅ家のホームページ
- ザ・ブセナテラスは九州・沖縄サミットのメイン会場:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)