
ライプニッツ

機械式計算機「Stepped Reckoner」
1672年(寛文12年)には、パスカルが製作した機械式計算機「パスカリーヌ」を改良し、乗除算を含む四則計算をすべて実行できる「Stepped Reckoner」を発明した。しかし、四則計算を行う複雑な歯車構造は当時の工作精度を超えており、1694年(元禄7年)までに2台のプロトタイプが製作されたが、常に正しい計算結果を出せるとは限らなかった。
1676年(延宝4年)、マインツ選帝侯が死去したことでパリを離れ、ハノーヴァー選帝侯に仕えることになった。ハノーヴァー侯は、イギリスのアン女王の死去に伴いジョージ1世として即位し、ハノーヴァー朝を開いた。
しかし、ジョージ1世はライプニッツをロンドンには迎え入れることはなかったので、このころ微積分法の先取権を争っていたニュートンと直接話し合う機会はなかった。

哲学の分野で、ライプニッツは単子論(モナド)を提唱した。
モナドとは、それ以上分割できない事物の究極的な要素のことである。ライプニッツは、それをもっとも単純であり、広がりを持たず、相互に作用を及ぼすことはないが、それ自体が能動的な実体であり、自己発展を遂げ、宇宙を構成していると考えた。それらが宇宙で安定定期に存在するのは神によって予め定められた調和、つまり「予定調和」であるとして、神の存在をそこに見いだした。
ライプニッツの単子論は、中世のスコラ哲学以来の神の実在をどう証明するか、という課題と、近代科学の物質観とを融合させようとした試みでもあった。
しかし、ジョージ1世はライプニッツをロンドンには迎え入れることはなかったので、このころ微積分法の先取権を争っていたニュートンと直接話し合う機会はなかった。

哲学の分野で、ライプニッツは単子論(モナド)を提唱した。
モナドとは、それ以上分割できない事物の究極的な要素のことである。ライプニッツは、それをもっとも単純であり、広がりを持たず、相互に作用を及ぼすことはないが、それ自体が能動的な実体であり、自己発展を遂げ、宇宙を構成していると考えた。それらが宇宙で安定定期に存在するのは神によって予め定められた調和、つまり「予定調和」であるとして、神の存在をそこに見いだした。
ライプニッツの単子論は、中世のスコラ哲学以来の神の実在をどう証明するか、という課題と、近代科学の物質観とを融合させようとした試みでもあった。
アン女王が1714年(正徳4年)に死去するとステュアート朝は断絶し、遠縁にあたるドイツのハノーバー選帝侯が迎えられ、ハノーバー朝のジョージ1世となる。しかし英語をほとんど話すことができなかったため、政治は内閣が担当し、議会に責任を負う「責任内閣制」が誕生する。
この時代の世界
(この項おわり)
ライプニッツは1676年(延宝4年)頃に微積分法を編み出したというが、ニュートンは1671年(寛文11年)頃に着想していたという。しかし、現在の数学で用いられている微積分の記号はライプニッツが考案したものである。