辰年にちなんで田無神社に初詣

2012年1月8日 撮影
田無神社
田無神社(東京都西東京市田無町3-7-4)へ初詣に行った。
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田無神社
創建は鎌倉時代と伝えられており、本殿、拝殿が東京都文化財に指定されている。
1868年(慶応4年)の神仏分離令までは尉殿大権現 (じょうどのだいごんげん) と呼ばれ、西光寺(現在の總持寺)の管理下に置かれていた。
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田無神社
御祭神の尉殿大権現は、すべての命の源である水と、よろずの災を祓う神を司る豊饒と除災の守護神で、金龍神として顕現するといわれている。2012年(平成24年)の干支・辰(龍)と絡めて、初詣に行くことにした。
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田無神社
境内の東西南北には四龍(青龍神、白龍神、赤龍神、黒龍神)が祀られている。

手洗い場にも龍の彫刻が。
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田無神社
水の中には獅子が見える。
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野分初稲荷 - 田無神社
境内の北には、野分初稲荷 (やぶそめいなり) がある。室町時代からあるという。
御祭神は、食物の神・宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ) で、豊作祈願、商売繁盛、福運招来などの御利益があるとされている。
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七福神 - 田無神社
野分初稲荷の近くには、大黒様(大国主命 (おおくにぬしのみこと) )と恵比寿様(少彦名命 (すくなひこなのみこと) )がいる。七福神のメタボブラザーズ。

境内にも、この他にも小さな社が数多く点在する。
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戦役者慰霊碑 - 田無神社
日露戦争の凱旋記念として建立された記念碑。日露戦争の総司令官・元帥・公爵である大山巌 (おおやまいわお) による書だ。

現在は、西南戦争や日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などにかかわるすべての戦役者・戦没者の慰霊碑として祀られている。
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戦役者慰霊碑 - 田無神社
石碑の隣には砲弾が祀られている。
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楠正成公像 - 田無神社
南北朝時代の武将、楠正成 (くすのきまさしげ) の子孫が保谷に移り住み、田無神社の分社である尉殿神社 (じょうどのじんじゃ) を守護したことから、境内に石像が祀られるようになったという。

戦に臨む兵士が、武運長久を祈念し石像の一部を砕いて持ちお守りとしたため、いまのような姿になっている。
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土俵 - 田無神社
神社の崇敬会名誉会長・大鵬 (たいほう) 親方が開いた土俵もあり、わんぱく相撲が開催される。
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ご神木 - 田無神社
ご神木の大銀杏は、西東京市の文化財に指定されている。

天保13年(1842年)から嘉永3年(1850年)の西光寺の本堂再建の折に記念植樹が行われたが、これと同時期に植えられたものと伝わっている。
現在では田無地域で最大級の巨樹になっている。
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目的地:田無神社

近隣の情報

(この項おわり)
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