西暦1171年 - アイユーブ朝が成立

スンナ派がエジプトを回復
サラディン(ギュスターヴ・ドレによる想像画)
サラディン(ギュスターヴ・ドレによる想像画)
ファーティマ朝宰相サラディン(サラーフ・アッディーン)は、ファーティマ朝の最後のカリフ・アーディドが死去すると、父の名にちなんだアイユーブ朝を創始する。

シーア派のファーティマ朝に代わり、エジプト・シリアのスンナ派信仰を回復した。そのため、バグダードにいるアッバース朝カリフの権威を認た。

サラディンはさらに1174年(承安4年)にはザンギー朝に代わってシリアのダマスクスを制圧し、エジプトからシリアに及ぶスンナ派統一国家を樹立した。
12世紀中頃、ファーティマ朝のカリフは形骸化し、トルコ系奴隷兵マムルークと黒人奴隷兵の対立が起こり、さらに十字軍の侵入を受けた。
シリアにあったザンギー朝のヌールッディーンは、この状況に介入し、クルド人の部将アイユーブ家のシールクーフを派遣した。シールクーフはカイロに入り、その実権を奪い、ファーティマ朝の宰相に就任した。

1169年(仁安4年)にシールクーフが急死したため、甥のサラディンが宰相の地位を引き継いだ。
彼はマムルークを主力に取り込み、実質的にアイユーブ朝を樹立した。
シリアのザンギー朝はそれを認めなかったが、逆にサラディンによって攻め込まれ、エジプトからシリアにかけて統一政権を実現した。

この時代の世界

1075 1125 1175 1225 1275 1171 アイユーブ朝が成立 1138 1193 サラーフ・アッディーン 1146 1174 ヌールッディーン 1100 1124 ハサン・サッバーフ 1187 ヒッティーンの戦い 1186 1241 オゴタイ 1241 ワールシュタットの戦い 1250 マンスーラの戦い 1096 十字軍遠征はじまる 1241 ワールシュタットの戦い 1100 1187 グレゴリウス8世 1122 1190 フリードリヒ1世 1133 1189 ヘンリー2世 1157 1199 リチャード1世 1182 ノートルダム大聖堂の完成 1167 1216 ジョン 1165 1223 フィリップ2世 1215 大憲章(マグナ・カルタ) 1181 1252 プラノ・カルピニ 1194 1250 フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) 1214 1270 ルイ9世 1109 1185 アフォンソ1世 1120 1180 ルイ7世 1209 ケンブリッジ大学の創設 1127 南宋の建国 1130 1200 朱熹(朱子) 1181 ジャヤーヴァルマン7世が即位 1181 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1206 モンゴル帝国の成立 1190 1244 耶律楚材 1271 元の建国 1156 保元の乱 1159 平治の乱 1127 1192 後白河天皇 1167 音戸の瀬戸の開削 1147 1199 源頼朝 1159 1189 源義経 1133 1215 北条時政 1118 1181 平清盛 1179 治承三年の政変 1178 1185 安徳天皇 1152 1214 平徳子 1185 壇ノ浦の戦い 1157 1225 北条政子 1192 源頼朝、征夷大将軍に任官 1182 1204 源頼家 1163 1224 北条義時 1192 1219 源実朝 1180 1239 後鳥羽天皇 1161 1181 高倉天皇 1200 1219 公暁 1122 1187 藤原秀衡 1118 1190 西行 1138 1179 平重盛 1130 1189 平時忠 1155 1189 藤原泰衡 1162 1241 藤原定家 1113 1150 スーリヤヴァルマン2世の治世 1125 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1186 1241 オゴタイ 1241 ワールシュタットの戦い 1206 モンゴル帝国の成立 1167 1227 チンギス・ハン 1207 1255 バトゥ 1113 1150 スーリヤヴァルマン2世の治世 1125 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1124 1197 ヨーン・ロフツソン 1221 1223 スノッリのエッダ 1178 1241 スノッリ・ストゥルルソン 1204 1263 ホーコン4世 Tooltip
(この項おわり)
header