西暦1521年 - アステカ帝国が滅びる

スペインのコルテスが征服
テオティワカン遺跡
スペインの野心家コルテスは、1519年(永正16年)、500名の兵士と16頭の馬、50丁の銃を持ってユカタン半島に上陸した。
コルテスは、アステカ族に恨みを持つ女性マリンチェを現地妻にし、反アステカ同盟を組織した。スペイン人を伝説のケツアルコアトル神と勘違いしたアステカ帝国のモンテスマ王は、1521年(永正18年)、あっさりとコルテスに滅ぼされてしまう。
首都テノチティトランは破壊しつくされ、その遺構の上に植民地ヌエバ・エスパーニャの首都(現在のメキシコシティ)が建設される。当時人口20万人と推定されるアステカ人の多くは奴隷にされ酷使されたり、ヨーロッパ大陸から伝わった天然痘に感染し、人口は激減していく。そこでスペインは、アフリカ大陸から奴隷を移住させ、新大陸経営に当たった。

奴隷によって掘り出されたメキシコの銀はスペイン国庫を潤し、東方貿易が盛んになった。

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テオティワカン遺跡付近の地図

テオティワカン遺跡(Pre-Hispanic City of Teotihuacan)は、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡である。
1987年(昭和62年)、世界遺産に登録された。
(この項おわり)
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