大間崎や仏ヶ浦は下北ジオパークの一部

2022年7月11日 撮影
大間崎
大間崎
大間崎 (おおまざき) (青森県下北郡大間町大間大間平17-1)は本州最北端にある岬だ。大間の漁師に一本釣りされた440kgをモチーフに造られたモニュメントが目印。北海道まで17.5kmしかなく、泳いで渡る人がいるほど。
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大間崎
大間崎
「ここ本州最北端の地」の碑がそびえ立っている。

津軽海峡で水揚げされる天然の本マグロ(クロマグロ)は大間のマグロというブランド名で知れ渡る最高級品だ。2007年(平成19年)に、大間漁協によって出願された「大間まぐろ」が地域団体登録商標となり、出荷される30kg以上のマグロの頬には、ブランドの目印となる「大間まぐろ」の通し番号が付いたシールが貼られており、どの船がいつ、どんな漁法で獲ったマグロかを厳密に管理している。2019年(平成31年)には、1匹3億3360万円の最高値がついた。
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石川啄木歌碑 - 大間崎
石川啄木歌碑
地元有志により建立された石川啄木の歌碑には、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」と刻まれている。地元では大間崎の沖合いにある弁天島のことを詠んだものと言われている。
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「みちのく慕情」歌謡碑 - 大間崎
「みちのく慕情」歌謡碑
天童よしみの「みちのく慕情」(瀧竜二=作詞,熊五郎=作曲)の歌謡碑がある。1番の歌詞に大間崎が登場する。
豊国丸戦死者忠霊碑 - 大間崎
豊国丸戦死者忠霊碑
豊国丸 (ほうこくまる) は、北海道~横浜間の石炭輸送に従事した特務艦であるが、1945年(昭和20年)7月14日に、大間沖でアメリカ軍の攻撃を受け沈没。乗組員147人中およそ90人が船と運命を共にした。
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脱出した乗組員の多くも海流に流されるなどして行方不明となり、海岸にたどりついたのはわずか12人だった。
1974年(昭和49年)に遺族会が慰霊碑を建立。1994年(平成6年)に遺族会は解散し慰霊碑も風化してしまったが、住民らがネットで寄付を募り、2018年(平成30年)7月に慰霊碑を蘇らせた。
仏ヶ浦
仏ヶ浦
下北半島全体は、「下北ジオパーク」として日本ジオパークに認定されている。

下北半島は特徴的な「まさかり」の形をしているが、そのの柄に当たる部分は、南北約50kmに、東西10~15kmの幅がある。
約20万年前、本州と恐山山地と下北丘陵は海峡で隔てられていたが、海流が恐山山地を洗い、大量の土砂を運搬したため、陸地をつなぐ平野が形成され、田名部低地になった。

下北ジオパークの16カ所あるジオサイトの中の1つが大間崎。写真左の仏ヶ浦 (ほとけがうら) は、大間崎の南西に位置するジオサイト。
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仏ヶ浦
仏ヶ浦
仏ヶ浦は、約2kmにわたり、奇岩や断崖が続く。1500万年前に海底火山から噴出した火山灰が押し固められ、それが雨や波で削り取られて形成された海蝕崖地形である。
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仏ヶ浦
仏ヶ浦
仏ヶ浦の奇岩は極楽浄土のイメージを重ね、極楽浜、如来の首、五百羅漢などの名前が付いている。
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仏ヶ浦
仏ヶ浦
1941年(昭和16年)に、国の名勝および天然記念物に指定され、1968年(昭和43年)には下北半島国定公園の一部となった。日本の秘境100選、日本の地質百選に選定されている。
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仏ヶ浦
仏ヶ浦
海上からでないと全体像は把握できないため、佐井港や野沢港から観光船が出ている。
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下北半島の成り立ちとマグロ

下北ジオパークのロゴマーク
下北ジオパークのロゴマーク
下北ジオパークのロゴマークは、下北半島が4つの地層から成り、大地が海によって形作られたことを意味している。その4つの地層を成立の古い順に並べると、以下のようになる。
  1. 紫:付加体
  2. 茶:新第三紀の海底火山噴出物
  3. 橙:第四紀火山
  4. 緑:堆積平野
付加体とは、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレート上の堆積物が大陸プレート側の一部になったものを指す。日本列島の周辺では約3億年前から断続的に海洋プレートが沈み込んでおり、日本列島の多くの部分が付加体から成り立っている。
下北半島では、上述の通り、「まさかり」の柄にあたる紫色の部分が付加体である。

新第三紀は2300万年前から260万年前までの期間を指し、上述のとおり、海底火山から噴出した火山灰が海底で押し固められ、固い砂岩となった。これが地上に隆起した部分が、「まさかり」の刃の先端にあたる茶色の野部分で、仏ヶ浦の奇岩などが含まれる。

第四紀は260万年前から現在までの期間を指す。恐山などの火山活動により、茶色の部分が形成された。

津軽暖流と陸奥湾流が交差する部分にできた堆積平野が緑色の部分である。下北半島で最も人口の多いエリアと重なる。

この4つの地形は海底にも及んでおり、津軽海峡を東から西へ流れる津軽暖流は複雑な流れとなり、海底に堆積した栄養塩を巻き上げ、これを取り込んだ植物プランクトンは、動物プランクトンに補食され、動物プランクトンは小魚に、小魚はイカに補食される。こうした食物連鎖の頂点にマグロがおり、大間に多くのマグロが集まることになる。

大間崎への交通アクセス

【バス】
  • むつバスターミナルより下北交通バス佐井行き約100分、バス停大間崎下車
大間崎 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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