西暦1648年 - 清の建国

北方民族による中国支配
18世紀の清
明代の末、李自成 (りじせい) が率いる農民反乱軍が勢力を拡大し、1644年、首都・北京が陥落する。最後の皇帝・崇禎帝 (すうていてい) は自殺し、明は滅びる。
崇禎帝が没すると、対立していた女真族と明軍が手を結び、李自成の反乱軍を鎮圧し、1648年、清を建国する。

17世紀初頭、明の支配下でヌルハチは女真族の統一を進めていた。ヌルハチが1616年に建国した後金 (こうきん) が清の前身である。ヌルハチの子ホンタイジは、元の玉璽を譲られ、皇帝として即位するとともに、女真族を満洲 (まんじゅ) に改めた。

第4代・康煕帝 (こうきてい) 、第5代・雍正帝 (ようせいてい) 、第6代・乾隆帝 (けんりゅうてい) が支配した約130年間(1661年~1795年)にわたり、清は最大の中華帝国に広がる。

清は、元の失敗に学び清朝は飴と鞭を巧みに使い分けて柔軟な統治政策をとることで、わずか200万人の女真族が数億人の漢民族を300年間にわたり支配することになる。

この時代の世界

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(この項おわり)
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