マクデブルクの半球

マクデブルクの半球
30年戦争で荒廃したドイツのマグデブルクの再建を目指したオットー・フォン・ゲーリケ市長は、1654年5月8日、レーゲンスブルクの帝国議事堂前において、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の御前で、「マグデブルグの半球」と呼ばれるデモンストレーションを行った。
ゲーリケは、直径50cmくらいの銅の半球を2個つないで中空の球をつくった。
最初に、半球が簡単に引き離せることを見物人に確認させる。次に自分が発明したポンプで球内の空気を抜き、それを左右8頭ずつの馬に引かせた。ところが、16頭の馬の力を借りても、半球を引き離すことは容易ではなかった。大気圧に押され、2個の半球はぴったりとくっついたままであったのだ。
馬に鞭を入れ、やっとの思いで引き離すと、空気銃を発砲したときのような爆発音がとどろいた。
最初に、半球が簡単に引き離せることを見物人に確認させる。次に自分が発明したポンプで球内の空気を抜き、それを左右8頭ずつの馬に引かせた。ところが、16頭の馬の力を借りても、半球を引き離すことは容易ではなかった。大気圧に押され、2個の半球はぴったりとくっついたままであったのだ。
馬に鞭を入れ、やっとの思いで引き離すと、空気銃を発砲したときのような爆発音がとどろいた。
ド・メレの質問は次のようなものであった――

これに対してパスカルは、弁護士で数学者のフェルマーと手紙を交わし、「ある目が出る確率から計算するのではなく、出ない確率から計算する」と答えた。すなわち、
よって、両者の起きる確率は異なる。

この後もド・メレとパスカルの間で手紙のやり取りがあり、確率論が誕生することになる。
- 1つのサイコロを4回投げて、6の目が出れば自分の勝ちという賭けをしたときは、ほとんど勝てた。
- 2つのサイコロを24回投げて、6,6のゾロ目が出れば自分の勝ちという賭けをしたときは、勝てなくなった。
- 1で「6の目が出る確率は
」で、2で「6,6のゾロ目が出る確率は
」なのだから、それぞれ4回、24回投げたら、同じ確率で起きるのではないか?

これに対してパスカルは、弁護士で数学者のフェルマーと手紙を交わし、「ある目が出る確率から計算するのではなく、出ない確率から計算する」と答えた。すなわち、
- 6の目が出ない確率は
なので、4乗して1から引く。

- 6,6のゾロ目が出ない確率は
なので、24乗して1から引く。


この後もド・メレとパスカルの間で手紙のやり取りがあり、確率論が誕生することになる。
この時代の世界
(この項おわり)