西暦1637年 - チューリップ・バブル/「方法序説」刊行

世界初のバブル経済事件/我思う、ゆえに我あり

チューリップ・バブルが弾ける

センペル・アウグストゥス - チューリップの一種
1637年、オランダで世界最初のバブル経済事件が起きた。

オスマン・トルコから輸入されたチューリップは、オランダの気候で栽培するのに適しており、その美しい花はヨーロッパの王族や貴族に愛されていた。そこで、オランダの園芸家は徐々にその栽培に力を入れていった。

チューリップは高い値段で取引されたとはいえ、1633年までは、園芸家と収集家の間の正常な経済取引が続いていた。
ところが、高値で取引されていることに目を付けた一般大衆が参加してからバブルが膨らみ始める。やがて、珍しいチューリップの価値は金より高くなり、海外からの投資も始まった。人々は自分の畑のチューリップが盗まれないように徹夜で監視するという異常な状況に陥った。
1637年2月、ある男が球根を買い、いつものように転売しようとした。ところが取引ができなかった。これがパニックの始まりである。球根の売買には多額な信用売買が行われていたため、この小さな出来事が他の業者に疑念を抱かせ、やがては恐怖心となって伝搬していった。
もはや買い手はいなくなり、人々はパニック状態となり売りが売りを呼ぶことになる。オランダ政府が救済に乗り出すが、暴落は誰にも止めることはできなかった。球根の価格は100分の1になったともいわれ、国中に破産者が続出したのである。

ビットコインとチューリップ・バブル

チューリップ・バブルはヨーロッパ人の記憶に深く刻まれているようである。
2017年9月22日、欧州中央銀行(ECB)のコンスタンシオ副総裁は、仮想通貨ビットコインについて、「ビットコインはチューリップのようなものだ。投機の道具で、明らかに通貨ではなく、中銀の政策にとって脅威になるとは見ていない」と述べた。
2017年初から、ビットコインの価値はドル換算で3倍近くに上昇しており、世界中の中央銀行が頭を悩ませている。

「方法叙説」の刊行

ルネ・デカルト
同じ年、フランスの哲学者ルネ・デカルトの「方法序説」が刊行される。

デカルトは、機械論的自然学を体系化し、スコラ哲学にかわる新しい形而上学を模索していた。
1637年に刊行された「方法序説」は、デカルトの新たな哲学体系を示すために、「屈折光学」「気象学」「幾何学」の3論の総序として書かれたものである。
当時の本はラテン語で記されていたのに対し、多くの人に読んでもらうためにフランス語で記された自伝の形をとっており、6部からなる。
その第4部では哲学的思索を深めたデカルトの姿が描かれ、「我思う、ゆえに我あり」という有名な一節が記されている。
デカルトは、真理を探究するために4つの思考規則を定めた
  1. 明証の規則‥‥明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。
  2. 分析の規則‥‥難しい問題はできるだけ小さい部分に分けること。
  3. 総合の規則‥‥もっとも単純なものから始めて複雑なものに達すること。
  4. 枚挙の規則‥‥見落としがないように、一つひとつ数えあげること
「我思う、ゆえに我あり」という確実な真理を最初において、4つの思考規則によって推論を展開する方法を演繹法と呼ぶ。フランシス・ベーコンの帰納法とは対照的である。

1641年の『省察』では、数学は客観性が保証されており、その延長としての物体の存在が演繹的に確かめられるとした。つまり、世界医は精神(心)と物体という2つの実体がある「物心二元論」が誕生する。また、身体も含めた自然の事物を、数学的に把握できる機械の部品のように捉える見方のことを「機械論的自然観」と呼ぶ、

1644年に刊行した『哲学原理』には、慣性の法則をうかがわせる記述がある。デカルトは、われわれは運動が自発的に止まるものだと勘違いしており、摩擦や空気抵抗、重力といった作用を除けば、運動を持続し続ける、つまり慣性が備わっていると述べたのである。
デカルトの功績は、それまで地上の現象として認識されていた物理学を、宇宙空間という視点へ広げたことにある。
ニュートンの『プリンキピア』が刊行される23年前のことである。

この時代の世界

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(この項おわり)
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