

オランダ東インド会社が交易を認められたのは、プロテスタント国であり、カトリックに比べて布教の必要性が高くなかったためと考えられている。
また、オランダ商館長が提出する「オランダ風説書」によって、幕府はヨーロッパの動静を把握していた。

また、朝鮮との貿易については対馬藩に、アイヌとの貿易については松前藩に、琉球国との貿易については薩摩藩に、それぞれ任せることにした。また、将軍の代替わりの際、朝鮮からの使節が江戸を訪れた。
また、オランダ商館長が提出する「オランダ風説書」によって、幕府はヨーロッパの動静を把握していた。

また、朝鮮との貿易については対馬藩に、アイヌとの貿易については松前藩に、琉球国との貿易については薩摩藩に、それぞれ任せることにした。また、将軍の代替わりの際、朝鮮からの使節が江戸を訪れた。
この時代の世界
出島付近の地図

(この項おわり)
1616年(元和2年)、明(中国)以外の船の入港を長崎の平戸に限定する。
1635年(寛永12年)、幕府は鎖国令を発令し、中国やオランダなど外国船の入港を長崎のみに限定する。また、日本人の渡航と帰国を禁じる。