
玉川上水は、武蔵国多摩郡羽村(現・東京都羽村市)の多摩川に取水口を設け、江戸の東の入口にあたる四谷大木戸(現・同新宿区)までの約43キロ間を、重力に任せて引水するシステムである。
だが、羽村から四谷までの標高差は約100メートルしかなかったことや、せっかく引いた水が水喰土(浸透性の高い関東ローム層)によって吸い込まれてしまったり、岩盤に当たるなど、工事は困難を極めた。やがて幕府から提供された資金も尽き果て、兄弟は私財を投げ打って工事を続けたという。

難工事の末、1653年(承応2年)11月16日に本線が完成し、1654年(承応3年)6月から江戸市中への通水が開始された。庄右衛門・清右衛門兄弟は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられた。後世に玉川兄弟として語り継がれることになる。

さて、江戸市中に入った上水は、石樋・木樋等の暗渠水路で江戸城・武家屋敷・庶民の居住地等に配水され、飲料水のみならず、防火用水・泉水用水・堀用水など多目的な機能を有する都市給水システムとして発展した。羽村から四谷大木戸に至るまでの武蔵野台地の新田開発の灌漑や生活用水としても機能した。、江戸時代中期の寛政年間までに33個所の分水施設が設置されるに至っている。
元文年間(1736~1740年)には小金井付近を流れる上水の堤に桜が植えられ、江戸近郊の行楽の場となった。

明治に入り新宿に建設された淀橋浄水場には玉川上水の水が導水された。
1965年(昭和40年)に淀橋浄水場が廃止され、小平監視所(小平市)から下流は導水路の役割を終えたが、羽村取水口から小平監視所までの上流部は現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。
だが、羽村から四谷までの標高差は約100メートルしかなかったことや、せっかく引いた水が水喰土(浸透性の高い関東ローム層)によって吸い込まれてしまったり、岩盤に当たるなど、工事は困難を極めた。やがて幕府から提供された資金も尽き果て、兄弟は私財を投げ打って工事を続けたという。

難工事の末、1653年(承応2年)11月16日に本線が完成し、1654年(承応3年)6月から江戸市中への通水が開始された。庄右衛門・清右衛門兄弟は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられた。後世に玉川兄弟として語り継がれることになる。

さて、江戸市中に入った上水は、石樋・木樋等の暗渠水路で江戸城・武家屋敷・庶民の居住地等に配水され、飲料水のみならず、防火用水・泉水用水・堀用水など多目的な機能を有する都市給水システムとして発展した。羽村から四谷大木戸に至るまでの武蔵野台地の新田開発の灌漑や生活用水としても機能した。、江戸時代中期の寛政年間までに33個所の分水施設が設置されるに至っている。
元文年間(1736~1740年)には小金井付近を流れる上水の堤に桜が植えられ、江戸近郊の行楽の場となった。

明治に入り新宿に建設された淀橋浄水場には玉川上水の水が導水された。
1965年(昭和40年)に淀橋浄水場が廃止され、小平監視所(小平市)から下流は導水路の役割を終えたが、羽村取水口から小平監視所までの上流部は現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。
この時代の世界
参考書籍
![]() |
約束の奔流 小説・玉川上水秘話 | ||
著者 | 松浦節 | ||
出版社 | 新人物往来社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2003年10月 | ||
価格 | 2,090円(税込) | ||
ISBN | 9784404031587 | ||
四谷大木戸に到達した玉川上水の水を、いかにして江戸城と江戸市中へ配水するか。工事に取り組んだ石工・大工たちの技と工夫、そして心意気を活写する新鋭の秀作集!表題作のほか「辛夷の花」「木樋に賭ける」「角筈村騒動」を収録。 | |||
![]() |
玉川上水情死行 太宰治の死につきそった女 | ||
著者 | 梶原悌子 | ||
出版社 | 作品社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2002年05月 | ||
価格 | 1,760円(税込) | ||
ISBN | 9784878934681 | ||
太宰と共に玉川上水に身を沈めた山崎富栄。生前の富栄を知る著者が、文士らのウソを暴き、その実像と死までの経緯を詳細に描く。 | |||
参考サイト
- 千川上水:
付近の地図

(この項おわり)
庄右衛門・清右衛門兄弟が工事を請け負い、1653年(承応2年)2月に着工した。