西暦1722年 - イースター島の発見

モアイ像は立っていた。
モアイ像
オランダの探検家ロッヘフェーンが、1722年、ヨーロッパ人として初めてイースター島に到達した。発見した日がイースターであったことから「イースター島」と名付けたと言われる。

当時、島には1,000体を超えるモアイ像があり、島民が祈りを捧げていた。モアイは村の守り神と考えられている。

その後、村同士の抗争などによりモアイは倒された。

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(この項おわり)
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