西暦1722年 - イースター島の発見

モアイ像は立っていた
モアイ像
オランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが、1722年(享保7年)、ヨーロッパ人として初めてイースター島に到達した。発見した日がイースターであったことから「イースター島」と名付けたと言われる。現地語名はラパ・ヌイ(広い大地)、正式名はパスクア島(スペイン語でイースターを意味する)。
当時、島には1,000体を超えるモアイ像があり、島民が祈りを捧げていた。モアイは村の守り神と考えられており、高さ21メートル、重さ90トンという巨大なものもある。

13世紀頃、ポリネシア人たちな何千kmもの航海の末、イースター島に上陸し、村を築いた。
島民達は森林を伐採して丸太のコロを切り出し、山腹から巨岩を運んでモアイ像を作りだした。17世紀までモアイ像は作り続けられていたようだ。
しかし、イースター島は乾燥しており比較的平坦で気温が低い。植林しない限り森林が再生する見込みはなかった。島民たちはその事に気づかず、カヌーを作ることもできなくなり、食糧が不足し、住居にも困る有様になった。さらに地滑りが何度も起きて、村が押し流されてしまった。
こうして貧しくなった村同士で争いが起こり、相手の村のモアイを引き倒す事態となった。

1774年(安永3年)にイギリス人探検家のジェームズ・クックが上陸したときには、半数のモアイ像が倒されていたという。そして、1840年(天保10年)頃に最後のモアイ像が倒された。
18世紀か19世紀にかけ、島民は奴隷として、ペルーに連れて行かれた。さらに、外部からもたらされた天然痘や結核が広がり、1872年(明治5年)に人口は約100人まで減り、ロンゴロンゴ文字などラパ・ヌイの文化が途絶えてしまった。

この時代の世界

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(この項おわり)
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