
ところが、サンジェルマン伯爵はこうした法螺話をあえて否定しなかったことが、かえって伯爵の神秘性に箔を付けた。彼はヨーロッパ各地の言葉だけでなく、ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、アラビア語にも通じており、東洋の知識も豊富だった。クラヴサンとヴァイオリンの名手であるだけでなく、錬金術に精通していた。食事も多く摂らないところから、人々は伯爵が不老不死であると思い込んだ。

1760年、ショワズールは謀略を用いて、ようやくサンジェルマン伯爵をフランスから追い出した。この頃、哲学者ヴォルテールはプロイセン王フリードリヒ2世に宛てた書簡で、サンジェルマン伯爵は決して死ぬことがなく、すべてを知っている人物と伝えている。
サンジェルマン伯爵はヨーロッパ各国を放浪し、1766年、フリードリヒ2世の庇護を受けるようになる。

1784年、93歳でドイツで死去する。
その5年後、フランス革命で投獄されたマリー・アントワネットに書簡を送ったとか、さらに19世にに入ると、サンジェルマン伯爵の目撃情報が増えた。ナポレオン3世はサンジェルマン伯爵の情報を集めた。日中戦争でも目撃されたといい、1984年から日本に滞在しているとも言われる。

1760年、ショワズールは謀略を用いて、ようやくサンジェルマン伯爵をフランスから追い出した。この頃、哲学者ヴォルテールはプロイセン王フリードリヒ2世に宛てた書簡で、サンジェルマン伯爵は決して死ぬことがなく、すべてを知っている人物と伝えている。
サンジェルマン伯爵はヨーロッパ各国を放浪し、1766年、フリードリヒ2世の庇護を受けるようになる。

1784年、93歳でドイツで死去する。
その5年後、フランス革命で投獄されたマリー・アントワネットに書簡を送ったとか、さらに19世にに入ると、サンジェルマン伯爵の目撃情報が増えた。ナポレオン3世はサンジェルマン伯爵の情報を集めた。日中戦争でも目撃されたといい、1984年から日本に滞在しているとも言われる。
この時代の世界
(この項おわり)
彼は、その豊かな知識と聡明な人柄により、ポンパドゥール夫人を介して、フランス国王ルイ15世と親交を結んだ。
ルイ15世の重臣ショワズール公爵はサンジェルマン伯爵を疎み、サンジェルマン伯爵になりすました道化を社交界に送り込み、アレクサンダー大王と酒を酌み交わしたとか、イエス・キリストに予言を受けたなどという法螺話を吹聴して、伯爵の信用を失墜させようとした。